Xデザイン学校 京都フィールドワーク 2023
京都にバーを開く
昨年に引き続き、京都でKA法でのフィールドワークに参加した。今年は10月。
トップの画像は、最初に説明聞いていると納得感があったのに、あれ実際やってみるとわかっていたものがわからなくなるぞ、あれあれれれという私の心象風景。(フィールドワークの後でに寄って帰ったAMBIENT KYOTOの写真。京都新聞社の地下は最高に好みだった…。)
アウトプットは大事だよ!と言われて、noteをサボりがちだったのを改めて頑張ろうと思ったので、ちゃんと書く。
なぜその人の価値観を知ろうと思ったのか
昨年のフィールドワークでの反省点として、インタビュー対象者が非対称になってしまっており、なぜその人たちにインタビューをしたのか軸が見えないということがあった。確かに、話しかけられそうな人に話しかけた、聞き出したいことよりも、相手と会話をつなぐことに一生懸命になってしまって、それどころではなくなったということがあった。
後からコメントとして先生から言われると確かにそうでしかないが、限られた時間、捕まらないインタビュー対象者に対する焦りでやっている最中はそれどころではなかった。
少なくとも、話を聞くときに、自分なりに話を聞く焦りは多少低減されて、聞きつつ、聞き出しつつというのができた気がする。バーという理由が聞き出しやすかったというのもある。
インタビューがフィールドワークのすべてではない
8月にやったマスターコースでのワークショップ(飲食店の観察調査をする)でやったこともとても活かせた気がする。座って飲んでいるだけでも、周囲の人がどうしているのかというところから、いろんな動きや情報が得られたし、その環境がその中にいる人に影響しているのだなというのは、そういう目線で今回複数のお店を見て回ったから得られたことかもしれない。京都の地区というっぽさがあり、さらに、お店の中は店主のこうしたい・こうありたいという意思とお客様がこう過ごしたいという意思が交錯して、出来上がっている。意思は意図的であったり、意図的でなかったりいろいろだけど。
オーナーは若者と住民が交流してほしいと思っていても、若者は迫りくる就活と恋愛でそれどころではないとかね、普通にそれは起こりうるよね。
経営者≠利用者
今回、ペルソナを考えるときに経営者の考え方に引っ張られすぎてしまったところがあった。チームの議論全体をミスリードしてしまった。。。
「経営者の価値観と利用者の価値観は別のもので、その間をちゃんとつなげられるソリューションが必要」というコメントをいただいて、とても納得感があった。つい、経営者がこういうお客様に来てほしいという考えで、利用者を考えてしまうけど、利用者は経営者に都合よい人間ではない。これでは、プロダクトアウトになってしまって、KA法をやっている意味がない。知識では知っているけど、実際やってみるとどんどん都合よく考えたくなってしまう。
ばかばかしいアイデアを大事に
「必殺技を捨てる」「困った時には人間は慣れたいつものやり方に頼ろうとする」というのは、ベーシックコースで何度も言われていたことだけれど、改めて大事さが身に染みる言葉であった。バーのアイデアを出すときに、毎回私は適切かどうかを最初に考えてしまった・・・つまり、私が慣れているやり方はシステム開発における障害対応のソリューションの発想(確実にそれ期間内に終わって問題収束するやつだよね!?)なんだな・・・と改めて反省した。意識的に発散させようとしているけど、わかんない・時間がないで困ってくると無意識にそこに頼ってしまうなーと改めて、気づいたと同時に反省。アイデアを掛け算で出していくってうまくいくととても楽しいし、いい時間なのになー。わかっているのになー。くぅ。
自分の好きな場所とは
今回いろんな人に話を聞いてみて、印象深かったのは人によって語る範囲が異なるんだなーということ。その場所にいる人になぜここにいたいと思うのか?今後どうなっていってほしいか?と聞くと、「その町が好きで町全体が活性化してほしい」「その産業を大事に思っていて、産業全体が活性化してほしい」というような比較的大きな話をする人もいれば、「自分の仲がいい人達が近くにいて鍋パできる環境が幸せ」「自分の好きなものとそれを理解する人に囲まれていたい」というような自分の目に見えるような話をする人もいた。「好きな場所」という定義と理由ってひとそれぞれなんだなと思った。当たり前だけど、同じ場所に住んでいても全く同じものを見て同じことを考えているとは限らない。その中であるあるを探していくというのは、クリアに解像度の上げ下げができるようになることだなと思った。
言葉を磨く
「今回のストーリーボードは絵に頼らず文章で書いてください」というのが課題になっている。絵で描くと絵で描くことに満足してしまうからだそう。何度もストーリーボードを書き直していて、そのしっくりする言葉を言語化することがとても難しい。「絵に頼ってしまうから」というのは、本当にその通りだと思った。スマホになって手軽に写真や動画が撮れるようになって、ビデオ通話も簡単にできるようになって、言語化するということをさぼってもなんかなんとなく済ませられるようになっていたなと気づかされた。
これは今回気づいた自分の1番の課題かもしれない。エスノグラフィーは言語化されていなかったものを言語化する作業なのに、自分が思ったことを相手に伝えられるように適切な言葉選びができていない。だから、ぼんやりは伝わるけど、子細な部分が伝わらなくて、機微に刺していくようなことができない。「一気通貫した提案ができるかどうかが大事だよ」というお話が合ったが、一気通貫しているかどうかが自分で判断できるかもまた言語に依存しているのだたぶん。(私は言語思考型なので特に) それがうまくいっていないと結果として、相手には「あーなんとなく、違うんだよねー。なんかぱっとしないよねー」で終わってしまうのだ、たぶん。
これから来る街
これから来そうな街、これからきそうなムーブをどうとらえていくのかというのを考えるのも面白かった。先生から「よさげな街にはよいカフェがあり、センスのよい本屋やレコードショップ・セレクトショップができて、口コミでデザイン事務所が集まってくる」という話を伺った後、いろんな街を通るたびに、チームメンバーとよさげな街探しをした。
清澄白河はブルーボトルコーヒーの1号店ができてからフューチャーされるようになったけど、その前にその良さに気づけたかみたいな感じを思い出しながら街をみていた。清澄白河はブルーボトルの前からちょっといい感じのカフェとかギャラリーとかができてきていて、まさにそんな感じだった(当時は一眼レフに入れ込んでいて、よく写真展を見て回っていた。)清澄白河は紙問屋が多くて、しっかりした建物がたくさんあるのだそう。(先生の物知り度合いがすごい)
2人組で話を聞く
今回のフィールドワークでは、2人組でインタビューをして、そのエリア内ではチームメンバーで一緒に行動するということがあった。(二手に分かれて別地域で行動してはならない)
KA法でまとめていると、2人組で話を聞くことの意味がわかった。全く同じ時間同じ場所で話を聞いていたのに、微妙に違う受け止めになっていたりするし、なんか脳内で会話を補完していたりする。
あと、どれだけ事前知識を自分側が持っているかでも同じ言葉の受け止めが変わると思った。事前のデスクトップリサーチが大事というのはそういうことだろうし、去年の時は京都勤務の方が居てだいぶ補足してくれて、解像度が上がった。聞くと一言で言っても奥深い…。
学びの先に
街の在り方をエスノグラフィーとしてとらえることができるなら、会社の中でもエスノグラフィーしようと思った。ちょうどよいのでインタビューを企画しよう。何百人と人がいれば、それはそれで部署が街だし、エスノグラフィーだと思った。
インタビュー結果を上位下位分析したり、マスターコースのワークショップでアドバンスの方の話を聞いて触発されて採用のカードゲームを作ったり、ちょっとづつ、自分なりに学んだことを使ってみる取り組みを織り込めてきたのはよいことだ。まだまだ小さなことだけど、学びをリアルに反映できるように頑張ろう。