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オムロンの創業者 #20

先日、オムロンの創業者である、立石一真 創業記念館を見学させてもらいました。
記念館はグッドデザイン賞にもなったステキな空間で、世の中の出来事と、彼の生きた歴史を、分かりやすく展示してありました。
参考)
https://www.g-mark.org/gallery/winners/9de3fcd3-803d-11ed-af7e-0242ac130002

彼は1900年生まれなので、1933年の創業は、33歳のときと、年齢がわかりやすいことも、理解を深める助けになりました。

私が印象に残ったことを3つ取り上げたいと思います。

1.社憲の制定(1959年)

「我々の働きで、我々の生活を向上し、よりよい社会をつくりましょう」とありますが、元々は「我々の働きで、我々の生活を向上し、社会に奉仕しましょう」だったそうです。それを、従業員にわかりやすい表現に自ら赤ペンで修正したそうです。当時のメモが残ってありました。
やはり、①物事を伝える際に、相手の立場になってわかりやすい表現にすること、②最後の最後まで見直し、修正・改善をしていくことをされていたんですね。見習わないと・・・💦

2.中央研究所の設立(1960年)

この時の中央研究所への投資総額は、当時の資本金の4倍にあたる2.8億円でした。“技術屋社長の道楽”と評する人もいたそうですが、今となっては、この将来を見通した最新設備への惜しみない投資が、新商品の急速な量的開発を可能なものに変え、オートメーション機能機器先発メーカーの地位をゆるぎないものにしたと言えます。
ここぞというときの決断力、凄すぎます!

3.企業の公器性

健康工学研究を進め、サリドマイド障害児の電動義手を開発したり、福祉工場・オムロン太陽株式会社を設立したりと、企業は社会の公器であることを、自らの経営で体現しました。
また、会長になってからは、「大企業病」の克服や、OMRONへと社名変更をし、会長を退いでからは、私財を投じて科学技術研究の支援財団を設立しました。
やはり、利潤の追求だけでなく、いかに社会に貢献するかを考え、実行されていたことに、松下幸之助に通じるものを感じました。

「最もよく人を幸福にする人が、最もよく幸福となる」

結局は、利他の心やギバーであることが、最終的に幸せにつながるんだろうな~と。彼は「御室日記」というタイトルで日記を書き、絵も沢山描かれていたようです。住居棟では、2階のアトリエはじめ、応接室などにも、素敵な絵が沢山飾られてありました。

とても素敵な空間に、足を踏み入れさせて頂いたことに感謝です。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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