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CitypopとBack to the future。
シティポップが復権し始めたのは数年前。コードや構成が今時のtop40物とは異なり、よりポップスに純化された形のジャンルだ。
僕がとても小さい頃に和製シティポップが流行っていた。山下達郎、竹内まりや、大江千里、松任谷由美、角松敏生、松原みき、など枚挙にいとまがない。
リリックはメッセージ性が薄く、男女の機敏やよりよくなりそうな明日の社会や、それはまるでカラフルなゼリービーンズみたいな内容だった。時に甘くて、少し塩辛いものだったけど。
当時だって世界では様々な不幸があったけれど、未来を無邪気に信じていた時代の音楽、というのが僕のシティポップのイメージ。ぼくは嫌いじゃない。寧ろ好きだった。だって、シティポップは大人や成長への憧れだったから。暑苦しいメッセージなんて聞きたくなかったのだ。
シティポップの流行は、現在のSNSのアルゴリズムや、ストリーミングなど技術的な事柄と、音楽のサイクルによるものとのないまぜで、理由はよくわからない。
音楽の観点からいうと、いわゆるJPOPと比べるとコードやリズムは華やかで、音色は少し大人しくなる。まあ、今回、それはどうでもいい。
先日、久しぶりにみたバックトゥーザフューチャーが、ものすごく現代的に感じたのはシティポップの流行と無関係ではないはずだ。
もっと声をあげよう、政治や社会を変えるために!、そのままの君でよいのか?と毎日、何かしらのメッセージを浴びている僕らは疲弊している。メッセージや不満なんてないに越したことがない。
テクノロジーが充分な幸福を与えてくれないのは明白だ。未来は技術の進歩だと脳に刷り込まれた人類は、このまま便利な発明品を消費しながら、どこへいくのだろう。
シティポップや80sは、気楽だった人生を思い出させてくれるから僕は好きなんだ、たぶん。