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チャーリーパーカーとバッハが音楽家へ導く。

クラシック音楽の対位法のベーシックは、バッハのインヴェンジョンから僕は習った。グールドのように深遠な演奏はもちろんできないけれど、バッハ特有のカデンツと、旋律が旋律を追いかけるように流麗に重なっていくインベンションは、弾けばひくほど、楽譜を解析すればするほど、その永遠につづくであろう美を感じることができる。弾き始めた当時は、なんてつまらない音楽だろうと思っていたのに。この21世紀には、すべて聞くことができない量のジャンルの音楽がある。譜面、拍子、楽器法や和声、という西洋音楽のロジックも、じつはひとつのローカルの音楽法にすぎないと思えるほど、世界の音楽は豊穣なのだ。クラシックの音楽史への影響力はそりゃ最も大きいけれど、西洋音楽で世界の全てを説明できないのは当然だ。ということを前提にしても、バッハのインベンションは僕を音楽家の端くれに導いてくれた大事な教科書のひとつである。

もうひとつインベンションと同じくらい大事な教科書がある。チャーリーパーカーのオムニブックである。ジャズのインプロヴィゼーションのイロハをオムニブックは教えてくれた。チャーリーパーカーはビバップの音楽家であるが、彼の音楽はまっすぐな音楽理論に支えられている。ときに複雑すぎて、音楽というより学問の色合いの濃い曲もあるのだが、僕はオムニブックを何度も弾いた。本来なら指と頭が覚えるほど弾き、身体に吸収するものだが、演奏家ではない僕はそこまでいかず、チャーリーパーカーの天才性にあふれたフレーズを身体を通して楽しんだ。オムニブックに掲載されているフレーズは、時に垂直的、ときには水平に滑らかにコードプログレションに沿って、流暢に運動していくジャズのインプロヴィゼーションのお手本のようなものばかりだ。何度弾き直しても、僕にはいつも新鮮で、鮮烈なジャズのエナジーを感じるのだ。

インベンションとオムニブックは、音楽という巨大な海域を航海するための哲学書のようなふものだ。ただの音楽書ではない。二人の大きな魂が丹精を込めて書き上げた美術書といってもいい。様々な名作と同じように、触れることで、人間を成長させてくれる指針のような譜面、何か音楽で煮詰まったとき、僕はこの二冊のいずれかを弾きながら、問いかける。たぶん、この先もずっと弾き続けるだろう。

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