必要なのは正しい鈍感力。
コロナの勢いが収まらない。一旦衰弱したと油断すれば新種が現れ、世界の何処かでは常にパンデミックが人々の生活を脅かしている。
日本国内でも地域によって感染の度合いも一定ではなく、やはり大都市に集中している。
時短営業を強いられる飲食業、ライブ会場、僕らの生活圏はこのまま萎縮したままなのではないかと心配する日常に疲れてしまっている。
一年も経てばマスクと手洗いは常態化して、それほど苦痛には思わなくなっているけど、不自由さからくるストレスは蓄積されている。
いくら出来の悪い僕でも心が摩耗してきて、気が滅入る日が少なくなくなってきた。
周りを見渡すと、友人知人の中にはそんな最中でも楽しく生きている人は少なくない。
彼等はウィルスを軽んじている訳でもなく、能天気な訳でもなく、ただこの状態を受け入れ楽しんで暮らしている。
安っぽい考察をすると、彼等には正しい鈍感力があるのだ。
蔓延している疲労感や苛立ち、気分を悪くするようなニュースに対して距離を上手く作る術をしっているのだ。
自分の生活を停滞させるような事象に鈍感になり、それでいて自分の生命を守ることはしっかりしている。
こんな日常でも楽しみなど幾らでもある。
けれど多くのひとはネガティヴな事象に神経質になり、存分に生きられない。僕もそのひとりだ。
彼等の顰に倣い、僕も正しい鈍感力を養おうと考えている。