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ドラッグは創造に必要なのか、否か。

ドラッグは好きになれない。優等生ぶる訳ではないが、興味を持ったこともない。日本ではマリワナが違法だから、よくマリワナ好きのクリエイティブな職種の人間が逮捕されたりする。
その度、海外では合法で大袈裟過ぎるだとか、日本は遅れている、だとか、その反対に、心が弱いからだ、だの、驕っていたからだ、だのと言った批判や擁護がネットに溢れる。
音楽のジャンルの幾つかは、ドラッグによって生まれ、育まれたものもある。どのジャンルかはネット調べればすぐ分かるでしょう。素面で聞いていても没入も出来ず、その良し悪しさえ分からないのだが、一度ドラッグを摂取すれば、その音楽の真髄が全身で理解できるものが世界にはある。
だから、なんだろう。と思う。条件付きのアートに、僕は興味がない。でも一方で羨ましくもある。
その彼らの言う桃源郷のような異質な世界観に興味がないことは、僕は常識の範囲内でおさまる世界観しか作れないのではないか、という何だか幼いものだけれど。でも、僕は、やはり興味がない。

一昨日、とある有名人がマリワナで逮捕された。おそらく、とんでもない才能の持ち主だ。教育や社会貢献もしていたらしい。これから、ネットやメディアでは、彼の粗探しと人格攻撃、過去の過ちの蒸し返し、が沢山始まるんだろう。関係者と称した凡庸な人間がわんさか現れ、彼の人生と才能を貶めていくんだろう。犯罪は犯罪。仕方ないのかもしれない。

ただ、才能に溢れた人間が、常識的でずっと正常な筈もなく、ずっと聖人君子でいる必要はどこにもない。善行を行い沢山の人間を助けた人間に、人格や行動に瑕疵があってもおかしくはないし、構わないとさえ思う。
才能というのは化物で、個人の人格を時に侵食したりもするし、ひょんなきっかけで消失もするものだ。

人間は皆、平等に生まれていない。ときに、アンフェアを受け入れててもいい。と思う。才能が消える、そのことが悲しい。随分と勝手な物言いだけれど。


 


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