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わたしの社会とその後の生活のためのリスクマネジメント

岩手には今のところ感染者は出ていないし、あまりヒステリックになったり悲観的に考えたりするのも良くないとは思いつつ、もし家族や親しい人たちに感染者が出た場合どうなるのか(どうしたらいいかだけではなく、周りからの付き合われ方とか)も考えておく必要がある気がしてきた。
 
僕らの場合は家族や親族も東京にいて(なんなら知り合いはわりと全国各地にいて)、その人たちの暮らす自治体では当然のように感染者が出ているし、自分たちが岩手にいるとはいえ感染者の親族とか知り合いになることは充分にあり得る。
 
ここ数年の各地の災害を受けて、家庭でも防災や災害時の対策を考えておくことはずいぶん啓発されるようになったけど、個人的には物質的な準備や行政対応の把握等に加えて、個々のコミュニティや人間関係の護持についても考えておく必要があるというか、それはそれで現実的に大切な準備ではないかとも思っている。
 
特に今回の新型コロナはもし感染だけでなく入院して重症化してしまったらもうそれっきりになる可能性がある。そして家から感染者が出た場合、周囲からはものすごく警戒されるだろうことも考えられる。世界ではすでに差別や分断が起きていることも報告されているし、特にこういう地域社会ではそういう混乱も起きやすいし伝播しやすいだろうなとも思う。感染するリスクにも備えなければならないけど、感染後のリスクにもみんなで備えておく必要がある。
 
そしたらどうやって生活を続けるのが現実的なんだろう。もし自分が感染して自宅隔離になったとき、うちの中は空間的にどう仕切ったらいいんだろう。自分や身内の感染で収入が断たれたとしたら、どうやって役場に行って自己申告したらいいんだろう。2週間自宅から出ないとして、買い物とかどうしようか。やっぱり誰かに届けてもらうことになるのかな。どんな感じでやるのがいいんだろう。噂とかも含めて周りの反応は2週間経ったとき収まってるかな。そもそも区長さんあたりには伝えたほうがいいよな。というか伝わるしくみはあるのかな。
 
人間どうしの問題とウイルスの問題を分けて考えることも個人と集団のメンタルを保つために大事な気がしてる。感染の予防は人間の行いとして称え合って、感染してしまった時はウイルスの行いだから責めない。そういう都合の良さとか、あえて筋を通さないことも許せないと多分やっていけない。
 
自分や家族が感染した場合や近いところで感染者が出た場合のことを考えておくことは不謹慎なことではないはずだし、誰かが努めている予防や警戒を否定することでもないはず。むしろある程度集団的に堂々と対策しておきたいというか、ウイルスじゃなくお互いを警戒し合うようになる前に「感染しちゃった時はよろしく!」くらいのパートナーシップをつくり直しておくぐらいがいいのかもしれない。
 
悲観したり不安は煽りたくないけど、ここまで来ているのだし、これだけ警告してくれている人たちもいるのだし、ある程度は今のうちに、というか落ち着いて考えられる今だからこそ、せめて話し合っておいたり頭の中でシミュレーションしておくに越したことはないと思っている。
 
ウイルスは人間を区別も差別もしない。誰でも関係ないわけだけど、我々は人間なので誰かとの関係を大切にしないと生きていけない。僕は医学や生物学について無能だし、せめてそういう面から生き延びることについて事前にできそうなことを考えておきたい。
 
海外の医療関係者が帰宅したときに抱き着こうとして駆け寄ってきた子どもを慌ててよけた動画が頭にずっと残っている。あの映像で我々に見えるものはウイルスじゃない。

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てくてくの森
一般社団法人bridge理事,NPO芸術工房レギュラー会員 演劇作家|文化事業デザイナー|演劇によるひとづくりコーディネーター|岩手県文化芸術コーディネーター 岩手県西和賀町という山奥に在住