最近考えたこと
舞台を「お客さんのもの」にするためには?
「自分のやりたいこと」なんか子供に訊いてはいけない
1. 舞台を「お客さんのもの」にするためには?
「演劇では食べていけない」というフレーズについてここのところずっと話し合ったり考えたりしています。
「食べていく」っていうのはもちろん「お金を稼ぐ」ということであり、その稼いだお金で「生活していく」ということなんですが、そのためには「演劇を買ってもらう」ことが必要なわけですから、「演劇では食べていけない」というのは「演劇はいまいち買ってもらえない」というふうに言えそうです。
「演劇を買う」という一見ヘンテコな言い方をしているのは、もちろん実際的には「演劇のチケットを買う」ということなんですが、そのチケットは観劇体験の引換券であって、提供されるものの本質は体験のほうです。だから「演劇を買う」。
もちろんたくさん買われている演劇、購買意欲をそそる「買いたくなる」演劇だってちゃんとあると思っています。というか多分、みんな何となくそういうものを指して「プロ」と呼んでいるのではないかという気がします。
「いまいち買いたくならない演劇」と「買いたくなる演劇」の何が違うのか、ということを最近観た若手演劇団体の公演を観ながら考えていて、ふと
「これは観客として《自分のもの》っていう感じがしないなあ」
と思ったのでした。じゃあ何かといえば、あくまで《つくり手である彼らのもの》。
その団体のことを僕は以前から応援しているので、それはそれでも、まあ構わない。チケットを買い、観劇することで微力ながら活動継続を支えられたらと思うし、同じような気持ちの方々を客席にお招きできていることも素敵なことだと思う。
ただこの舞台が、例えば僕のバッグのように、僕のiPhoneのように、僕がさっき食べたパンのように、「お金を払って買った」ことで《自分のもの》になったかといえば、決してそうは言えないなあと思ったのです。
誤解しないでほしいのは、これは別に「もっと観客の喜ぶことを考えて観客を迎合するべきだ」という話をしているわけではなくて、「どうしたら観客にその舞台を《自分のもの》だと思うに至らせることができるか」という点に「演劇を買ってもらえる」ようになるための素朴で大事なヒントがあるような気がしているっていうことです。
2. 「自分のやりたいこと」なんか子供に訊いてはいけない
「やりたいことを見つける」とか「やりたいことをやってもらおう」とか、ひどい場合は「何かやりたいことはないのか」なんて、そういうフレーズを若い世代に向かってよく使ってしまうのだけれど、それが若い世代を結構苦しめているように感じています。
「自分にはやりたいことがない」
「何がやりたいのかとか言われても困る」
などなど。で、何かに集中している姿なんか見られた日には
「なんだ、やっぱりちゃんとやりたいことあるんじゃないか」
なんて言われて、せっかくの集中が途切れたり気持ちが冷めたり。
「自分のやりたいこと」というフレーズは「自分の何たるかと向き合え」という暗示になっていて、言われた若い世代は内面がムンクの絵画みたいな感じになってしまっているように見受けられます。
ちょっと想像してみてください。
無心になって絵を描いていて、せっかく対象と画面のことしか頭にないようなときに「君は本当に絵が好きなんだね」と声をかけられたら台無しだと思いませんか。
「やりたいこと」なんてどうでもいい。まして「自分がどういう人間か」なんかどうでもいい。今はこの絵がどうなるかが何より大事。
すごくシンプルに、そういうことだと思うわけです。