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障害とは何か。技術は何を成すか。
仕事で義足という製品を扱っているため、「障害」という言葉に触れる機会が多くあります。
(障害の「害」の字は「碍」と書くべきとか「がい」と平仮名にすべきとかの議論はここでは触れません)
義足に関して言えば、下肢が無い状態を「障害がある」と表現されることが一般的かと思います。
ただ、ディープテックスタートアップとして高性能な義足を開発している当社で仕事をしていると、その「障害」という考え方は違うのではないかと思うようになりました。
これまで、この話について色々な場でプレゼンさせて頂く機会があったのですが、どの場でも「たしかに障害という意味の捉え方が変わった」という声をいただいたので、その話を共有したいと思います。
障害の基準はなにか
「障害者」と「障害者ではない人」を分けているのは何でしょうか。
「認定・判定を受けて障害者手帳を持っているかどうか」のような事務的な基準もあるでしょうが、ここではもっと心理的・認知的な話をします。
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具体的な例で考えましょう。
視力とメガネ
目が見えない人は障害者でしょうか?
おそらく大半の人が「Yes」と答えると思います。
では、ほとんど目が見えない人は障害者でしょうか?
先程よりは減るかもしれませんが、やはり大半の人が「Yes」と答えるでしょう。
もし、ほとんど目が見えない人がメガネをかけることで問題なく日常生活を送れている場合、それでもその人は障害者でしょうか?
これまでプレゼンの場で同じ質問をした時には、ここまでくると「Yes」と答える人は非常に少なくなりました。
下肢と義足
義足に話を変えます。
下肢を失っている人は障害者でしょうか?
やはり、大半の人が「Yes」と答えます。
義足を使って日常生活を送っている人は障害者でしょうか?
たいてい、変わらず大半の人が「Yes」と答えます。
ここは興味深い点です。
目がほとんど見えない障害者と捉えられる人は、メガネを使えば障害者と捉えられません。
一方、下肢を失って障害者と捉えられる人が、義足を使用していても変わらず障害者と捉えられます。
メガネは「障害者」と「障害者ではない人」を分けているようですが、義足は「障害者」と「障害者ではない人」を分けていないようです。
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先程の義足の質問に戻ります。
意図通りに動いて、人間の足と変わらないような機能をもった義足を使っている人は障害者でしょうか?
私の経験上、「Yes」と答える人はだいたい5分の1くらいです。
だんだんわかってきました。
義足も機能が良くなれば「障害者」と「障害者ではない人」を分けることになりそうです。
矯正器具・補装具?それともファッション?
メガネをかけている人に対して、どのようなイメージを持ちますか?
ネガティブっぽい回答では「ガリ勉そう」など言われますが、ポジティブっぽい回答では「知的」や「おしゃれ」なども出てきます。
視力が良いのに、わざわざ伊達メガネをかける人もいるくらいです。
もともとは悪い視力を矯正する器具なのに。
足が健康なのに、わざわざ義足にする人はいるでしょうか?
ありえません。
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障害はどこにあるのか
目がほとんど見えない人が障害者と言われたり、メガネをかけたら障害者ではないと言われたりします。
義足はある無しに関係なく、下肢を失っている人は障害者と言われることが多いようです。
なにが違うのでしょうか。
答えというか、あくまで1つの見解ですが、技術(製品)側に課題があるかどうかです。
言い方を変えると、障害は人にあるのではなく、技術に障害があるのです。
実は、これは10年ほど前にTED Talksに登壇して注目を集めた、MITのヒュー・ハー教授の言葉です。
“There is no such thing as a disabled person, there are only disabled technologies.”
「障害者というものはない、ただ障害をもった技術があるだけ」
本当に素晴らしい言葉であり、着眼点だと思います。
ヒュー・ハー教授が一躍有名となった動画はこちら↓
技術は何を成すか
義足も機能が向上し、デザインも洗練され、メガネのように日常生活の一部に溶け込むようになれば、義足ユーザーを障害者という人はいなくなるでしょう。
つまり、義足という技術には現状まだギャップがある(障害がある)状態だということです。
つまり、技術はただその課題を解決する手段というだけでなく、社会的認識をも変えていると言えそうです。
飛躍的に進歩を続ける技術ですが、「障害」という言葉がある限り、まだまだ理想には遠いかもしれません。
当事者やその家族などからすれば、こんな話を聞いても、もどかしいだけかもしれません。
ただ、障害は人にあるのではなく、技術側にあるという考え方が、少しでも広がったら良いなと思います。
そして、いちメーカーとして、少しでも早く技術の障害を取り除いていかなければならないなと思います。