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息苦しさと個人性

中国の古代を見ていると、周制は少しずつでも確実に滅びの道を辿っていた。
まさに諸行無常でしょうか。
それは儀礼が行われていても、それが人間の心に適っていなかったことが原因かもしれない。新時代を望む心があったのだろうか。それは確かではない。
そういう見方をすれば、そう見えることはあり得る。
儀礼が粛々と行われていても、それがそれだけで、それが目的となってしまっていたら、また、ただ人生の見た目を行儀良く整えるだけのために、時間が費やされていただけなら、大いなる無駄だと思える。
でも、始皇帝の時代以降は自由が増した感じもする、
気のせいだけかも知れない。
諸子百家なども自由に国々を往来していた訳だ。
遊説の士も大変だっただろう。
遊説の士は忙しい、それに対して貴族階級はどうだったのだろう。
広い中国大陸を行動していたのだ。
また、それは洋の東西を問わず、古代史に言えることかも知れない。
個人的な贔屓としては古代インドの哲学、特に釈迦の教えに今日性があると感じられる。人間はあまり変わらないと見抜いていたのだろう。
それが仏教が東アジアに流縁した大きな理由かも知れないと思う。しかし、分からない、実態を観察することは難しい。
しかし、試みとして、現代人と比べて、かつての古代人の場合には個人性が大きく損なわれていた可能性が考えることができるのだ。しかし、それも場合による。一概には言えない。
あくまでもそう観察可能だというだけだ。
歴史哲学的にそんな観察が可能である。
しかし、僕はその時代を生きた訳ではない。
その時代のことは知らない。
だから、やはり烏滸がましいことを言っている気はしてしまう。
それで現代に向かって個人性が増大するように歴史は進んできたのかも知れない。
型に嵌った人間を作るだけなら、それはエネルギーの無駄とも言えてしまうと思う。
同じことは科学にも言えると思う。
際限なく自動化を進めていけば、それに狂いがあった時には事故になってしまう。最適化をしたはずなのに、それが間違いを孕んでいるという危険性は考えることができる。
人間は自動機械ではない、感情や心がある。
それを殺して生き続けることにはかなりの苦痛が伴うと思う。
それを強要するような社会はどれだけ持続できるだろうか。
古今の重大事故はそんな教訓を与えているのかも知れない。
手段が目的と化してしまった時、重大な矛盾が生まれるのだろうか。
それに人生を捧げることの無益性も考えられる。
仮にそうならなければ、そうしなければ、もっと自由に生きられたのに、なんてことになるなら、
やはりそれは教訓になることだろう。
色々な芸術などもそうかも知れない。
それに人生を捧げることも、いいことではあり得るが、時代が進むにつれて、それに人生を労費しないようにシステムが進んでいるようにも感じられる。
過去から現在に向けてのトレンドからそう言えるのではないか。
そして、そのために自由はより増す一方であり、
誰かには逆にそれに息苦しさも感じられる。
これは個人性の増大をエントロピー増大則に準えることができるだろうか。
系は何かするたびにエントロピーつまり乱雑さの規準が増すとする。
すると、どんどん自由にしていい尺度も増していくと思う。
そう考えてみると、符合するとも言えるのではないか。しかし、確かなことは言えない。
そんな気がするだけだと言われてしまえば、それだけだ。
ポストモダン的な間違いとはそんなところだろうか。
そんな真面目にならなくてもいいところで、
時代適合性が顔を出し、人をゲンナリさせる。
無邪気な遊びであるはずのものが、専業化で意味が損なわれてしまうとか、
考えることができてしまう。
そうして、個人性は増大してきたのではないだろうか。
全てに言えることだけど、この見方が絶対的な正しさを持つこともないだろう。相対的な、実際を体験していない人間の見方にすぎない。
そう感じられるとか、そう見えるとか、そんないい加減なことかもしれない。
そう観察できた気がしたからと言って、何になるのだろうか。
未来に向けて、何か得ていなければ、何の意味もない、それに古代人の存在を無駄と言ってしまうのも、腑に落ちない。
自分で自分に矛盾を感じてしまう。
結局はマクロ的にそう見えるだけ、その時代を生きた個々人にとって、その世界が現実だった。
今や文明は進歩した。
しかし、人間自体は変化していない。
とすると、この問題は何だったのだろうか。
徒労だったかもしれない。
しかし、試論は試論である。
試みにこんな見方もできるかなと思ったまでだ。
言い訳がましくなるので、これくらいにしておきたい。
自分が主体的でないだけで、議論は焦点を失うのかもしれない。
これはこれで面白い話だ。
自分でいうのも何ではあるが。


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吉谷匡将
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