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欲望と正義は両立するのか

「欲望というとネガティブな感じがします。
そう感じるのは私だけでしょうか。
多分違います。
でも欲望は欲望で悪いものではないはずです。
清浄な欲望もあり、汚い欲望もあると思います。
しかし、人間本来の心が決まっていれば、
その人の欲望は清浄だと思います。
少し危険な感じもしますが、
欲望と正義は両立すると思います。
しかし、危うい道です。
こうあって欲しいと強く欲望しても、
実際にそうなるかは明らかで、
そうなるとも限りません。
とすると、そう願うだけのエネルギーは無駄になります。
無駄になる覚悟があるなら、いいのですが、
そうでないなら、やはり良くないですね。
本来やるべきことが疎かになるでしょう。
本来やるべきだったことから逃げてそのままになってしまう。
そしてそのまま戻らないとか、
笑うに笑えません。
だから、自己責任が必要です。
他人はここぞという時に役に立たないと思います。
役に立ってくれる場合もありますから、
言い切れませんが、
まあ決まりは決まりですよね。
その覚悟で生き抜くことは必要だと思えます。」
「なるほど。
欲望と正義を両立させたいんだね。
そりゃまた面倒なことだな。
普通にしていればいい。
自然にしていればいい。
それでいいんじゃないか。
何か特別なことをする必要があるか?」
「そう言われると、
無い。
無いと面白くない。
でも、面白いかどうかなんて二時的な要素だから、
どうでもよくはあるよ。」
「これで結論が出てしまっているのではないか。」
「そうですね。
何か特別の措置が必要ないなら、
普通にしていればいいですね。
確かにそう思える。
でも、何か物足りない。
でも、その物足りなさを堪えてこそ、
普通は維持されると思います。」
「そうですね。
そうでしょ。
普段から気をつけているなら、
ここぞという時もそれとなく対処できるはずです。
それが人間の本来の自然の姿ですからね。
それが正義だと思います。
正義というと公明正大で立派でなければいけないと
いうイメージがあるかもしれませんが、
そんなことはないです。
そんな相対的なことを気にしていると、
肝心なことを見失うかもしれません。
気をつけましょう。」
「二次的要素は二時的要素に過ぎない。
しかし、言葉とか単語とかには他人の手垢がついている。
それは拭った方がいい。
そのまま受け取るとか、利用するとか、そんなことが汚染に繋がる。
形而上学的概念でも普通のモノと対するように扱うのが、いいという例だね。」
「それでいい。
それでいいんだ。
他人の手垢は汚いものだ。
もちろんだけど、自分のものもそうだ。
自分も他人から見れば他人だ。
そこのところは分かるだろう。
手垢は拭って清潔に保とう。
それが大事なことだ。」
「やはり情熱は必要ですね。
それで汚いものを焼き切りましょう。
汚いものをそのままにしないように気をつけましょう。
それか綺麗な水をたくさん使って、適宜洗いましょう。
それでいいはずです。」
「やはり冷酷さは憎むべきものですね。
相対的にも認めにくい。
しかし、そこに意識があるかどうかが問題だ。
意識があるならやめればいい。
ないなら意識を新たにすればいい。
それだけだ。
難しくもないな。」
「うーん。
普通だ。
でも普通を守れてこそ普通でいられる。
そのための普通だ。
大事にしろ。」
「その通りかな?
分からないが、
そうかもな。」


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吉達将清
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