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確かなことは何かというと

確かなことは何かいうと、
それは自分が生きているということである。
逆にいうと、それ以外のことは曖昧だ。
何とでも言えるとも言えると思う。
考えれば考えるほど、よく分からなくなるのだ。
確かなことは僕が生きていること、
確かにここに存在しているということ。
自分が存在することは確かである。
他には何が確かだろうか。
それは事実である。
事実には色々とあり、
それが確かなら、どれも真実だと言える。
真実であるならば、信用するとか、信頼するとか、以前にそれは確信されている。
しかし、事実は刻々として、短いスパンか、長いスパンで変わっていく。
実際に、現在の自分が生きている姿は、
少年期の頃には想像できなかった。
でも、想像通りになった部分もある。
それについて、言及することはあまり意味ないことなので、
ここではしない。
事実としては事実自体が時間と共に変化する。
自分も時間の中に生きているので、変化する。
好ましい変化であるか、好ましくない変化であるかは関係ない。
人間は歳をとるのだ。
このことは抽象的には考えにくい。
いつまでも今の自分が持続すると考えがちである。
しかし、それは矛盾している。
今の自分は過去の自分ではない。
しかし、そこから連続して、今に至っている。
確かなことは自分は変化するということである。
つまらないことがきっかけとなって人生は変わっていく。
ほんのふとしたこと、それが人生を支配していた可能性がある。
とすると、考えることにもそれほど意味がないとも言えるはずである。
では、何故、僕は考えてばかりいるのだろうか。
自分の記憶する限り、幼少期はこうではなかった。
少年期もこうではなかった。
青年期もこうではなかった。
その反省だろうか。
今までに人生で失敗したことは沢山ある。
そのために深く考えたがるようになったとは言えるだろう。
これも自分の姿である。
で、深く考えるようになった結果として、どうなっただろうか。
それはよく分からない。
考えにくいのだ。
自分を客観的に評価することは難しい。
またその目的意義も疑わしくある。
自分で自分を立派に思いたいなら、
そう色をつければいい。
でも、それは大事なことではない。
自分自身にとって意味あることが大事だと思う。
吾唯足知という言葉がある、
その言葉通りにほどほどで満足するのが一番かも知れない。
それで都合が良ければ、それでいいのだ。
つまらないことに煩わされるよりもその方がいい。
しかし、人生には誘惑がつきまとう。
それもまた問題なのだ。

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吉谷匡将
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