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「しなければいけない」を求められる辛さと虚しさ
「人生をずっと続くものの連続体とみなす時、
それはずっとしなければいけないことを延々とクリアすることを迫られることにもなります。
それは辛くあり、また虚しくもあります。
ひたすら意味もなく、続くことが見込まれ、
それをすることによってしか人生は続きません。
もうリタイアが楽になる道です。
だから、途中下車して、予定を捨ててしまいましょう。
それで人生の辛みや虚しさから少しだけでも遠ざかれるのなら、それでいいのではないでしょうか。
人生とは辛抱の連続であり、
それがいつまで続くかは分からないことです。
だから、諦めも漂うかもしれませんが、
それも仕方のないことです。
だが、しかし、諦めてみることも一つの手かも知れません。
要らないものは捨ててしまっで構いません。
ただし、それが本人のものならばの話しですが、
だから、要らないものとは何でしょう?
要らないものを大事にとって置くのもいいかも知れません。
人生は自由です。
そうでなければなりません。
だから、人にも自分にも自由を保障しましょう。
それで心が楽になるなら、それでいいではないでしょうか。
楽に生きて、楽に暮らして、
楽にあの世に行きたい、そんな願望を持つことはどう生きる意味を満たすことになるでしょうか。
生きることには辛いこともある。
それは全てのことは経験されねばならないとすると、
そうかも知れないが、
それには耐えられるなら、
今しばらくはそれでいて、
後で着手すればいいのではないでしょうか。
今はどうしたらいいのか、分からないなら、
分からないなりに何かをしなければならない。
しかし、ここで何かをする必要があるとは限りません。
何もしなくてもいいのです。
決めるのは各人の責任と自由において為されるものです。
だから、何でも決めるのは自分です。
自分で自分のことを決めるのを、自由と言うのですから、
それで飲み込めるのではないでしょうか。
何もかも他人に要求するよりは、自分に要求すべきではないでしょうか。
自分に要求できないことを他人に要求してもいいのでしょうか。
もし良心の呵責を感じるならば、
そこでどうしたらいいでしょうか。
自分が自分の責任を果たしているなら、
問題ありません。
もっと自由に行動したっていいのです。
自分に正直になることで、自負も生まれてくるでしょうか。
自負とは自信に近いものです。
しかし、自身よりも実績があるものと推定されます。
つまり自信があるだけではダメなのです。
自信があるのは誰だってそうだからです。
だから無意味なことを追いかけるのをやめて見てもいいのです。
それが無意味だと見込めるのなら、
自分で決めることです。
そうでなければ自由とは無意味なことではありませんか?」
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![吉谷匡将](https://assets.st-note.com/poc-image/manual/preset_user_image/production/i04f97ff72d86.jpg?width=600&crop=1:1,smart)