愛について
壮大な人類愛を語るのもいいのですが、
ここではもっと身近な愛について論じてみたいと思います。
身近な愛といえば、家族愛でしょうか。
家族愛を書くのは、やりにくいので、
ペット愛を書いてみたいと思います。
僕には飼っているイヌがいます。
彼の名前は伏せます。
ある詩人にちなんで命名したのですが、
そんなことはここではどうでもいいです。
当初は、彼はまだ生まれたてでようやく歩けるようになった頃に我が家にやってきました。そう記憶しています。
もしかしたら違うかもしれませんが、
誰も気にしないでしょう。また、その頃のことを思い出すと、
その頃の写真を残していないのが、残念になります。
残して置けば、分かりやすかったのに、と
少し後悔の念があります。
まだその頃は掌と同じくらいか、
それよりも小さかったです。が、
あまり覚えていません。
躾などは両親が行いました。
僕は食事や散歩などの世話をしています。
かれこれ十年以上になります。
彼との関係は、主人と飼犬の関係です。
そのままですね。
僕は彼が何を考えているのかまでは分かりません。
それより、彼が満足しているか、いないかが、
関心事となってきました。
彼が生涯を全うするまで、ケアをし続けるのが、飼い主としての義務になります。
僕の役割はある意味で補助的です。
介助とか、そんな意味ではないのですが、
お互いにお互いを思いあって、やってこれたと思います。
正直、何を考えているのだろうか、と思うと、
何を考えているのでしょうね、とても気になります。
人間ではなくて、他種の動物のため、そこまでは考えられません。
彼が何を感じているかはうすうす分かるつもりです。
彼の世話に関しても、僕一人だけではままなりません。
両親や他の専門家のケアも必要です。
メディカルだったり、その他のことです。
彼の性格はわがままで、気ままです。
僕の部屋に来たかと思いきや、どこかに行ってしまったり、
なんとなく人気がある場所が好きなようです。
また、家族の間を公平平等に渡っていこうとする傾向も感じられます。
その意味で、愛玩動物としての役割は知らず知らず果たしていると言えるでしょう。
僕は時々、彼の両腕を持って、
彼と睨めっこをしたりしています。
どちらかというと、その時は視線を逸らしたりすることが多いです。
そうでない場合もあるかもしれません。
彼の瞳は大きく輝いています。
散歩の時などは、その眼に草や荊や種子などが入るといけないので、少し心配をしながら相伴しています。
過去には実際に目に入ってしまったことごありました。
なんとか事もなく取ってやることができたのですが、
何故、彼が特定の道を嫌うのかが分かりました。
イヌの目線からすれば当たり前です。
そういった危険性がある植物を避けるように行動していました。
初めて分かった時には自分の至らなさを感じました。
そんな植物が道の脇に生えていたのです。
それ以来、散歩のコースにも、気を使うようになりました。
ところで、ペット用品もその売り場にいけば、たくさんありますね。
歯のケアも人間と同じようにとても大事です。
年配のイヌが健康を害するのはまず歯からだということも聞いたことがあります。
ま、これくらいの感じです。
こんな取り止めのないことも論じておきます。