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世界には「制限」があるのか

「世界には制限があります。
人間は人間のできることしかできません。
ではその制限をどう考えたらいいのでしょうか?
私たちは実体を兼ね備えた身体を持っています。
その身体がある限り、どうしても限界があります。
できることの範囲が定められることになります。
最後は死にます。
これがこの世界の定めですよね。
しかし、これはアンチノミーかもしれませんね。
世界に制限はないかもしれません。
となって、ありがたいことはあるでしょうか。
やはり制度や制限や限度があった方がありがたいですね。
意味のない制限解除は自由を増やすどころか、
不自由を増やすと思います。
制限があるのだとしたら、それは何のためにあるのか、それを問わないと意味がないことになるのではありませんか?
そもそも何故に制限があるのでしょう。
普通に考えれば、必要だからでしょうね。
でも、これもアンチノミーです。
制限や制度が形骸化しているなら、
そんな屍は取り去るに限ります。
正式であっても意味をなしていないなら、
その方向性で考える必要があります。
しかし、そうなると誰がそれを審判するのでしょう。
こうして政治問題になっていきます。
アリストテレスのいう通りに人間は集団的な生き物であり、元来ポリス的です。
その意味で政治的課題は避けて通れません。
私が興味ある政治課題としては、首相の公選制の是非とか、ベーシックインカムの是非とか、政党政治の是非ですかね。
政党政治は日本においては、一度軍部のためにつぶされて大政翼賛会という独裁体制に入りました。
私感としては、ヒトラーなきナチスドイツに近いイメージです。
そしてヒトラー政権と同じように戦争敗退によってその独裁体制も妥当されました。
それから十年くらいですかね。
それで政党政治が復活しました。
55年体制という奴ですね。
私も専門的知識はないのですが、
適当に穴を埋める感じで記入してます。
それでほぼ二大政党制で与野党が決まって今に至ることになるのでしょうか。
最近は政治資金問題が取り沙汰されているようです。
しっかりしてほしいですね。
国会議員のモラルが低下しているようなことでは困ります。
公費として国家予算から資金が出ているので、
いい加減なことでは許されないのでしょう。
私からすれば国政はかなり遠い存在ですけども、
だから分かりませんが、ローカルの問題でしょうか。
都民であればもう少し緊迫感が伝わって来るのでしょうかね。
私は郊外の田舎の方に住んでいるもので、
政治的問題にはとんと疎いのです。
ご容赦ください。
ところで国会議事堂はギリシア風の建築物ですね。
誰が設計したのでしょう。
紆余曲折があったようです。
辰野金吾の名前は知っていました。
有名なんですね。詳しくは知らないのですが、
辰野の代表作は東京駅や日銀本店などですね。
それで最終的には官僚建築家の合同チームによるものになったとありました。
二院に分かれて中央にピラミッドがある面白い形ですね。
とりあえずここで終わります。」


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吉谷匡将
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