哲学は反科学なのか?
「哲学は単に頭のいいフリをしたい科学的思考のできない人の避難所なのでしょうか?
僕は思う。
そうかも知れないと。
それを確かめてみたいのですが、
どうしたら分かるでしょう。
恐らく知り得ないでしょう。
実際にそうだとしてもそれは抽象概念ですから、
批判の矛先ですらありません。
つまり机上の空論です。
だから何を相手としているのかと言うと、
それは自分との問いです。
では何が焦点でしょう。
ものを分かったというのはどんな意味でしょう。
何かを理解できたのでしょうか?
まさか嘘ではなかったはずです。
しかしながら、それを確かめる術はないのです。
だから、疑いの余地を持っていいのは明白です。
確かめようがないのですから。」
「それは本当か?
お前は何が言いたいんだ?
これは愚問だったな。
先程述べた通りです、としか返ってくる訳がない。
うーん。
となると、どう尋ねるべきだったかな?
礼儀を逸したかな?
それはどうでもいいことのはずだ。
詭弁家たちに何を言っても無駄だ。
しかし、私が詭弁家でないことも証明できない。
とすると哲学者を気取る詭弁家がいたとしよう。
その存在は許容されるしかない。
悪いことをしているのではないのだ。
ただ自由に振る舞っているだけである。
そこに罪はない。
だから問題ですらない。」
「お困りのようですね。
でも手を差し伸べはしませんよ。
別に僕は貴方に用がある訳ではないので。」
「ふーん。そうか。
それは良かった。
余計な干渉など受けたくもない。
だからそれで良かった。
お前は反哲学のタイプか?」
「かも知れない。
哲学者とは言葉だけは発するけど、
本質を霧に撒く嘘つきだからとは言わないけど、
どうせ僕が求めているものを彼らが持っている訳がない。
中には本物もいるかも知れない。
しかし、確かめなくたっていい。
どうせ要らないものは要らないのだ。
これまで不要だったものが急に必要になることなんてあるのか。
全部が全部から騒ぎだったとしても僕が迷惑を被ることではない。
だから好きにしてくれればいいのだ。
どこの誰でも危害を加えてくるのでなければ、
自由に振る舞う権利がある。
その目的が何であるにしろ、
危害の危険性がないなら、何でもないのだ。
どうせつまらないこと。
つまらないこの世界のことだ。
理解しようとしているのだろう。
それを咎める権利は少なくとも僕にはない。」
「お前の言い分は分かる気がするが、
結局は何が言いたいのだ?
それは聞くまでもないだろう。
つまり興味がないのだ。
それらに興味がない。
それだけが言いたいのだろう。
それはそれで自由だ。
好きにするがいい。
人目を引くフリをして何となく遊んでいるだけだろう。」
「それのどこが問題なのだ?
全然クリティカルではない。
どうでもいいことだ。
何もかもどうでもいい。
どうせつまらないことだ。
人にとって意味あることが必ずしも僕に意味があるとは限らない。
逆もまた然りだ。
その程度の弁えくらい僕にもある。
馬鹿にしないでくれたまえ。
まああえて馬鹿にしてくれても構わないがね。」
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