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ガンジス川を泳いで渡る

インドのガンジス川に出会い、私の人生は大きく変わった。

「インドは人生観が変わる」とよく言うが、私にとっての初めての海外1人旅で訪れたインドはまさにその言葉の通りであった。

人・文化・食事・匂い・空気・大地・・・・それらの全てが混ざり合い混沌とした世界は、20歳の私からはあまりにも大きかった。


旅に出るきっかけ


「広い世界を知りたい」

幼い頃から外の世界に強い憧れを抱いていた。
愛媛の島で育った私にとって、周りの世界は小さすぎた。
自分の世界を広げるために、大学入学を機に上京した。
何十倍もの人の多さ、ビルの大きさに始めは戸惑いもしたが、1年を過ごすうちにあっという間に「東京人」になっていた。

「これが昔から憧れていた広い世界?」

そう思いながら悶々としていたころ、一冊の本に出会う。
バックパッカーのバイブル「深夜特急(沢木耕太郎著)」。

「これこそまさに見たかった世界じゃないか!」

そう思い、ひとり旅に出ることを決意した。

せっかく行くならインド!とニューデリー行きの片道の航空券を買った。
授業もアルバイトも何もかもほっぽり出して、約2ヶ月のインド周遊の旅に出た。

着いた瞬間詐欺に遭う そして食中毒


詐欺被害と食中毒はインドを訪れる日本人バックパッカーのほとんどが経験することらしい。

「まさか自分は大丈夫だろう・・・」

そう思っていた私は、ニューデリー駅でインドの空気を吸うのと同時に詐欺に遭った。
ニューデリー駅に着いた瞬間、「今デモが起きているから危ない!助けてやるから俺のトゥクトゥクに乗れ!」と体格のいいインド人が話しかけてきた。

今思えばそんなことあるわけないのだが、冷静な判断ができなくなるのが、1人初海外。
インド人詐欺グループの基地に連れて行かれ、1万ルピー(約1万5000円)を支払う羽目に。

「インド人もう誰も信用しない・・・」


次に向かったのは、ヒンドゥー教の聖地・ヴァラナシ。
ここでは一泊100ルピー(約150円)のインド人が経営するゲストハウスに泊まっていた。

ある日の夜、近くの屋台でサモサ(ジャガイモや豆を油で揚げた軽食)を食べた。味は良かったのだが、次の日嘔吐とともに目が覚めた。

「これはやっちゃったか・・・」

全身に毒が回っているような痺れ、39度の高熱、激しい頭痛・・・
今までのどんな病気でも経験したことのない辛さが5日間続く。
(保険に入っていなかったので、病院にも行けず・・・)


インドに来て約1週間、詐欺にも遭い、食中毒を経て、私は5kg痩せていた。


ヒンドゥー教の教え


食中毒で寝込んでいたとき、同じドミトリーにやたらと優しいインド人・サンビがいた。
ヴァラナシに巡礼しにきているというサンビは食中毒用の薬や、食べやすい食事、飲み物を用意してくれた。

「なぜそんなに親切にしてくれるのか?」と聞いたところ、彼は「ヒンドゥー教の教え。人に優しくしておけば、いつか自分に返ってくるから。」と答えた。
無宗教の私にはその言葉の真意はあまりよく分からなかったが、親切なインド人もいるんだなぁと思った。


食中毒から回復したある夜、ヴァラナシで毎晩行われている「プージャ」という儀式を見に行った。

「プージャ」とはガンジス川の川岸に作られた祭壇で、司祭がお祈りを捧げる儀式であり、毎晩多くのヒンドゥー教徒が集まる。

大音量で流れる音楽に合わせて、司祭とともに唄い、手拍子をする人々はなんとも幻想的で、会場は未知のエネルギーに包まれていた。

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この熱気は日本で感じることのできない、ここでしか味わうことができないものであった。


詐欺を働く人々、ヒンドゥー教の教えを守り人に親切をするサンビ、毎晩プージャでお祈りをする人々・・・

「同じ国なのに、いろんな人がいるなぁ」

私はインドという国よりも、そこに住む人々に強い関心を抱き始めた。


ガンジス川を泳いで渡る


次の日の朝、ガンジス川に朝日を見に行った。
川には朝日とともに沐浴をする人や歯磨き、洗濯をする人などガンジス川とともに生活する人々をたくさん見た。

「この光景を見ただけで、私はインドに行ったと言えるだろうか。
そこにいる人々と同じことをして初めて、その世界を知ったと言えるのではないだろうか」

私は目の前にある別世界の一員になりたいと感じていた。
「沐浴をすれば少しは彼らに近づけるか。いやどうせなら泳いでやろう!」
私は対岸からこちら側まで、泳いで横断することを決めた。

向こう岸からこちら側まで約400m。流れも強いところもあったが、愛媛の島で育ったので、泳ぎには自信があった。

対岸に船でつけてもらい、泳ぎ始める。

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大量に水を飲むが、そんなこと気にならない。
流れに逆らいながら、ひたすらに対岸を目指す。

約20分泳ぎ続け、ようやく対岸に到着した。
そこにいたたくさんのインド人から祝福を受けるように拍手喝采を浴びた。

これで少しはここにいるインド人達に近づけただろうか・・・

「世界を知るということは、そこに住む人々や生活を知ること。」
川を渡りきった後そう思った。


私はそれから、そこに住む人々の生活に近い形で世界中を旅した。
そうすることで、訪れた国をより身近に感じることができたと思う。

そして私は今日本で旅行代理店で働いている。
パンデミックの影響で今はまだ難しいが、私がガンジス川に出会い世界が広がったように、いつか誰かの世界を広げるような旅のサポートをしたいと思っている。

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