何を、どのように、どうやって「育てる」か?
日本のバレーボールの「お家芸?」を見直す
身長がある選手に「高さを生かして」 というのは何となくイメージしやすいです。
逆に身長が低いなど「高さ」で劣る選手が、高身長の選手にスパイクやブロックで勝負を挑むことを考える時、どうしても、「スピード」とか「テクニック」とか、「ディフェンス」とか・・・そういった別の対抗軸を用いて、足りない部分を補おうという思考がはたらきやすいようです。
相手が、「高さとパワー」で勝っていると分析したその時から、それに対抗すべく一生懸命、レシーブ練習や「計測的スピード」重視の攻撃練習をしていきます。それを形容して、「拾ってつなく粘りのバレー」とか、「高速バレー」とかと呼ぶようになり、それをやりこんでいくと、それが自分たちのバレーだとか言うようになっていきます。
しかし、「高さとパワー」 VS 「スピード&テクニック」 という対抗策は正しいでしょうか?
なぜなら、動画にあるようなプレーの連続は、日本人よりも体格の大きい選手たちが、普通にやっているからです。
ロシアのムセルスキー選手のこの動画は、何度も紹介されています。218㎝の大型選手です。しかしジャンプサーブも打ちますし、動画のようにセット(トス)の技術によって相手ブロックをノーマークにする場面もあるわけです。しつこいようですが、ムセルスキー選手は218㎝です。
これをもって、「高さやパワー」には、「スピードやテクニック」で対抗する・・・という戦略は行き詰まるのは明らかなわけです。高さやパワーがある選手が、スピードやテクニックをしっかり身に付けているわけです。
逆に、日本では、海外の「高さやパワー」に対抗しなければならないと、長年言いつつ、高さのある選手にオールラウンドなスキルやテクニックの習得や、フィジカル面の強化にどれくらいのエネルギーを費やしてきたのでしょうか?勝負の手数や手法以前の、土台や基礎の部分を見失っている側面はないのでしょうか?
バレーボールには高さとパワー「も」必要
昔は、日本のバレーは、「はやい」「うまい」「守り」・・・と言われてきたようです。確かに一時期はそれが世界でも勝って結果を出せたのかもしれません。しかし、少なくとも今は違います。
強みを伸ばすことは大切です。でもそれは、弱みから目を背けることではありません。強みを生かして伸ばし、同時に弱みにも手を打たねばなりませんね。
そういったことがあってはじめて、独創的な戦術が開発されて勝負になると思います。
「高さやパワー」は、あってしかるべき必要要素です。もちろん、スピードやテクニックもですが。それぞれが別々の対抗軸にはならないと思います。
私たちの思考法の課題のひとつに、「木をみて森を見ず」的な、全体像を俯瞰できないことがあると思います。同様に、二者択一の二元論的な思考もそうだと思います。これらは、見やすいわかりやすい、とりかかりやすいという部分に起因していると考えます。ですが、それだけでは解決できない、物事はさまざまな要因を多角的にみていかねばならないということを、みんなで共通認識していくことが必要ですよね。
ムセルスキー選手は、まだ20代のこれからの選手です。ロンドンオリンピックの時で20代前半。これはやはり「育成」のしかたに論点がもっといかねばいけませんね。
アンダーカテゴリの「目先の勝利」で見失うこと
育成年代、アンダーカテゴリといわれるような、小学生、中学生、高校生年代において、勝ち負けの違いや実績の有無を否定はしません。ですから、大会を勝ち抜くという経験は無駄ではないだろうし、全国大会をめぐる熾烈な競争の中での経験も大切だとは思います。
しかし、下にあるような様子を見ると、はたして日本のいまの小中学生のバレーボール指導はこのままでいいのだろうかと思います。
日本では、少しでも高度なことをやらせようという傾向があるのではないでしょうか?高度なこと、つまりは難しいことをやらせることは、相手ができないことをやれることになり、相手がやれないことをやっているという優位性があることで、勝つことができるという発想になるのだと思います。
しかし、「高度」=「難しい」=「優位性」 という関係性は、バレーボールでは必ずしも成り立たないと思います。その逆にある言葉としては、「シンプル・イズ・ベター」といったものでしょうか?つまりは、優位性に関するものは、コンプレックスなものか、シンプルなものか・・・だけでは決まらないということだと思います。特に育成世代においては、強く言えそうです。
上の動画では、いわゆる速攻だとか、コンビというものは見られません。ブロックだって一枚が多いです。しかし個人のスキルは相当高いです。
そして、何よりも注目したいのは、「ダイナミックスさ」というか、思い切りの良さあるプレーではないでしょうか?観ていて気持ち良いというか、爽快な思いがします。このあたりが日本のバレーの育成世代の指導の実情と大きな違いを感じるところなのではないでしょうか?
緻密で精密なレシーブ精度も大事だし、複雑なコンビネーションアタックをラリーで形成することも高度な能力ではありますが、そこを優先させてしまうあまり、「ダイナミックスさ」や「思い切りの良さ」というのを奪ってはいないだろうか?と考えるわけです。子どもたちに「失敗を恐れずに」ということが大事だと言われていますけど、そういったものの一つのカタチがこういう姿になるような気もします。
何か安心してファーストタッチを上げ、自信をもってセットし、アタッカーはアタックラインの後ろに下がって力強くスパイクを叩き込んでいます。この様を、「雑だ」と言っていいでしょうか?むしろ彼らの10年後20年後が楽しみでならないと思えてしまいます。
日本の今は、「戦術」に対する考え方やアプローチに系統性がないというか、どのカテゴリも同じような切り口で考えてしまっているところに課題があると思います。だからトップカテゴリになっても、戦術のコンセプトに抜け出せないものがあったり、高校や中学カテゴリの影響が残ってたりしているように思えます。逆に小中学生のバレーでは、上のカテゴリの戦術をそのまま導入しようとします。
ブロック戦術とかアタック戦術とか・・・いろいろありますけど、どのカテゴリの選手でも、より高くより強くを発揮する。これは同じではないでしょうか?そしてより高くより強くは、身長の高低に関係なくすべての選手にやらせなければならないことではないでしょうか?
もし、日本のバレーを・・・というならば、底辺からイノベーションしなければならいこともたくさんありそうです。
(2015)