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基本から応用形へ、型から技へ。練習の成果の行くつく先

「練習の成果が出る」というのはどういう時か?「上手い選手」とは何か?
こういったことにふと思考がおよんだりする時があります。
青少年の練習、指導現場をみてきた時間が長かったので、バレー特有の難しい運動・・・オーバーハンドパス、レセプション、スパイク動作、サーブのコントロール・・・こういったものが、「どうすればいちはやく習得できるか」ということへの思考錯誤や労力は、どのコーチ(指導者)も日夜研究をされているのだろうと思います。

知らないからできない

知っているけどできない

意識すればできる

意識しないでもできる(自動化)

こういった構造もあるゆえ、熱心なコーチの中には手取り足とり指導したり、逐一声かけをしていく人もいるのだと思います。
この過程外でできちゃう場合は、俗にいう「まぐれ」ということかも知れません。だから、もう一度となると再現は難しい。でも、この「まぐれ」が大きなきっかけとなることもよくあります。
コーチする側としては、この「まぐれ」を見逃さないことは大事なことです。なぜなら、たとえ「まぐれ」であっても、その瞬間への評価で選手が喜びや高揚感を得れば得るほど、その記憶は忘れにくくなり再現の確率が上がると思います。そして、次へのチャレンジやモティベーションが高まります。
とにもかくにも、熱心なコーチがたくさんいます。何とかスキルを身につけさせたい。そしてゲームの質を上げて試合での勝利を得たい。ですから、どうしても「ああしたら?」「こうしたら?」と言いたくなることも多くなりがちです。

さて、何のために練習しているかといえば、スキルアップであり、チームのレベルアップであり、それらが試合での結果として表れてくることのためだと思います。ですから究極的には動画にあるようなプレーができる選手、そんなゲームを目指すということに「いきつく」のだと思います。
それで先述の話に戻るのですが、出発点は初心者ですから、オーバーパスを飛ばせるようにとか、サーブがネットを超えるように、スパイクのタイミングがとれるように・・・そういった課題の中で練習していくわけです。手をこうしたらいいとか、腕をこうしろとか・・・。
 
ここで、「練習の成果が出る」というのはどういう時か?「上手い選手」とは何か?という問いかけをする場合、どうでしょうか?
きっと、「練習通りに」という考え方がでてくるのではないかと思います。多少の状況の違いの中でも練習で身に付けたもの、身に付けた型やスタイルを正確に再現すること・・・。そういったものがいつの間にか、「練習の成果」とか「上手い選手」という評価の基準になりがちではないかということを考えるわけです。

ところが、上記の試合動画において、起こっているプレーが果たして練習通りで基本に忠実な型で支配されているでしょうか?
むしろ、様々な難しい局面での中でも、あきらめずボールが落ちないように、俊敏で巧みなプレーをたくさんみせています。それらの一つひとつのスキルは、一つひとつを切り取り、じっくり反復練習に時間をかけてなされてきたのでしょうか?パンケーキの練習を何時間も何週間も・・・後ろ向きで追いかけながらのアンダー返球とか・・・確かにやった経験がなければできるはずはありませんが、我々がいわゆる「練習」というイメージの中では、そんなに反復を徹底されてきたものではないと思います。まさに創意工夫による応用とか、スキルの自由度を獲得したからなのだろうと思います。

セット(トス)をみると顕著にわかりますよね。
このような様々なセットは、練習で果たして丁寧に反復されたリピテーションによる練習からくるものでしょうか?
むしろ、基本ではないなどと言われてしまうことが多いかもしれません。
ですから、「練習の成果が出る」というのはどういう時か?「上手い選手」とは何か?というのは、与えられた練習でできるようになった型をいつでも再現することよりも上位のレベルがあって、それは、いかような型からも「プレーの目的を達成できる」ということなんだと思います。
体勢が崩れてもディグやレセプションができる。十分な体勢じゃないところからでもセットをして、スパイカーに決めさせる。「プレーの自由度を拡大させた選手」・・・そういうことじゃないか、それがいきつく先のものであって、そこを目指した練習や実践じゃなきゃ、発展に行き詰まりが出てくるんじゃないかと思います。

(2015年)