脱・ワンパターン思考
「使い分け」から生まれる思考がほしいところ
ここ数年いろんな現場に立ったり、いろんな方々と話していると、なかなか固定概念というか、従来の思考からさらに発展させにくい、壁みたいなものを感じることが多いです。
例えば、いわゆるはやい攻撃・・・仮にセッターに低い返球をしてからの、インダイレクトデリバリーのセットによるマイナステンポの攻撃があるとします。そしてそれを多用したっていいと思っています。決定率や効果があれば。そのチームがそれで勝負したいのなら。
しかし、それを状況に合った選択であるかどうか。そこにしっかり考えや理由があるかどうかが重要で、それ以外のサブプランや第二策があるかどうかが問われなければいけないと思います。ですから、何でもかんでもワンパターンで高速バレーをやり続けたとしても・・・結局セッターへの返球が少しでも狂ったらはやい攻撃が機能しなくなったり、いろんな可能性や対応力の発揮があるはずなのに、盲目的な思考になってしまうことが残念なことなんじゃないのかなと思うわけです。
高速バレーがすごい・・・と仮に設定すると、それは「高速バレー」自体の優位性よりも、「高速バレー」と呼ばれるものの完成度が高いがゆえのことなのだと考えます。だから、「高速バレー」をさせない努力がどれだけあるのか。「高速バレーコンテスト」をすれば、仕上がっている所が勝ちますが、そうではなくてもっと違う形で自分たちの良さを発揮する道を選んでもいいわけです。
そこで話を戻して指導者の方々は、どうして、「しっかりあげて、しっかり跳んで、しっかり打つ」 という当たり前の重要さよりも、「はやさ」とか「精度」とか「複雑性」いう尺度を優先してしまうのでしょうか?
3つの視点があるんだと感じています。
・「特効薬」「必殺技」を欲しがる傾向
・難しいことができる難易度が高い=戦術的優位に立つという思い込み
・白か黒か的な、極端な二元論的発想
いろんなところでいろんなプレーや戦い方、いろんな戦術や戦略が展開されています。それらに絶対はないわけです。選手の能力や特性も違いますし、選手間やスタッフとのリレーションも違うわけです。ゲームの局面や場面の違いもあります。だから「絶対」というものはない。だとしたら、それらをどのように「駆使するか」という発想がもっと出てこなければいけないと思います。「いいとこ獲り」です。そして、それらをしっかりと意図や判断をともなって「使い分け」をすることが大事なわけです。
ところが近年の議論を見ていると、いろんな発想や考え方が提案されても、正しいか間違いかという選択に迫られてしまいます。何事にも一長一短があって、その組み合わせをどうするか、ミックスの判断をどうするべきか・・・そういった議論になりにくいのはなぜでしょうか?
1セット25点「もの」点数の取り合いがあります。その中で駆け引きや、局面の展開はさまざまな変化やめまぐるしい揺れがあると思います。なのに、あたかも一本道で走りきろうとするのはなぜでしょうか?選手もコーチも思考が何かに縛られているとしか思えません。
「見る→動く→ボールコンタクト・・・」この一連の過程がバレーにはあります。
大事だと思うのは、同時に足りないと思っているのは、「見る」「動く」「コンタクト」の個々は練習していたり、いろんな思考や議論がなされているにも関わらず、「→」に対する思考や判断、根拠や理由づけがないまま、何となくなされているところじゃないかなと思います。
アンダーカテゴリや子供たちにおけるトレーニングやプラクティスでは、
「認知」 → 「思考判断」 → 「行動」
というレディネスで、しかも別々にトレーニングせず、それぞれの要素が組み合わさって考えられているようです。
しかし、日本のバレーボール界における旧来的な練習環境は、ボールコントロールやテクニック、つまり「行動」の部分だけに焦点化されて、子供のころから訓練されている背景があります。
ですから、相手や状況に関係なく、試合展開や局面に関係なくワンパターンな思考やプレーがなされるのだと思います。
「できる」とは、「これしかできない」ということではないと思います。あれもできてこれもできるけど、今はベストと判断して選択して「できる」。というのが「できる」ということだと思います。
誰が正しいか、何が正しいかというジャッジの議論ではなく、この場面でのベターな思考判断やプレーは何か?この局面でのあるべきコーチングとは何か?もちろんそれらは時と場合によっては選択が変わっていくという前提を確認しながら・・・。もっとみんなで楽を求めない議論をしていかないと、最終的には思考力や対応力を伴わない、先のない選手を増やしてしまうことにもなっちゃうと危惧しています。
「考えるはやさ」を養っていくためには・・・
ある方との話題をしていて、「考えるはやさ」を鍛えていかねばと考えていました。
今まで、多くのコーチが選手に「考えろ!」と、考えることの必要性や重要性を言いつつも、では実際いかにして「考えさせる」のか?という部分は、話題としてもあまり目にしたことがありません。
日常の練習から、「考える」状況をつくるためにはどうしたらよいか?そこから「考えるはやさ」を鍛えるにはどうしたらよいのでしょうか?
まずは、「考える」という状況にするためには、
・答えを与えず、他の可能性も示す
・選択肢を複数設定する
・理由や考え方を問う
・メリットとデメリットを確認する
・結果ではなく「考える」こと自体に評価を与える
・結果としてのミスを指摘せず、トライやチャレンジをさせる
・よりルールが複雑化していく
・不安や恐怖を意識させない
・「やらせ」にならない
などなどを日ごろのアプローチから取り入れていくことが必要かなと思います。
しかし、これでは「考えるはやさ」には至りません。
・より選択肢が多い環境をつくる
・「動きの中で」の決断の環境をつくる
・人数が増えた、関係性の幅を広げる
・パターン化されていない不確実な状況をつくる
・次のプレー、判断までの時間が短い
・時間制限とその制限内でのクリアミッションがある
・短時間での場面転換がなされる
というあたりが、加わっていくのかなと思います。
そう考えると、バレーでも従来のまたは旧来型の練習スタイルから考えると、こういった要素を踏まえた練習は、まだまだ圧倒的に少ないのではないでしょうか?結局は、テストマッチ、練習試合とよばれるものに時間をかけて経験を積んでいるのだと思います。しかしこれでは限られた人数、コート上に立つメンバーしか養うことはできないことになると思います。
どうしても「行動のパターン化」をし、そのパターンの「リプレイ(再生)」を重視してきました。それがプレーにとどまらず、あいさつや礼儀にいたる行動規範においてまで浸透してきました。これらが強化されていくほど、「再生の目的化」が前面に出てしまいます。
「考えていない!」とか「もっと考えろ!」、「考えて動けよ!」というコーチからの檄が飛ぶ場面をよく目にしますが、日ごろから「考えさせているか」、「考える方法に対するヒントを与えているか」・・・ということを、これからはもっとコーチ側は意識したいし、研修の話題にしていかねばなりませんね。
あいさつも大事だし礼儀も身につけたいところです。でもその浸透と、プレーやスキルを高めるための練習のアプローチとは、方法も切り口も違っていていいのではないでしょうか?
(2015年)