時間がかかるけど、大事だと思うこと
これから今まで以上に提案をしていこうと思うことがあります。
それは、本当に選手の「育成」とそれに求められる指導のアプローチです。
長期的な戦略やプランのなさがトップの競技力を下げる
日本では、大型のセッターがなかなか出てきません。リベロが第二セッターの役目を果たせません。ハイセットをする能力、ハイセットを打ち切る能力も世界に追いついていません。
ハイブリッド6っていうのもありましたが、ミドルからのクイックを中心とした決定力がありません。そしてプレーヤーのユーティリティ性、他ポジションでの適応力がありません。なぜでしょう?
サッカーの世界では、戦術的ピリオダイゼーション理論(PTP)というものがあるようです。これはバレーにも通ずる、大事な練習アプローチだと考えますし、まさに日本の現状に足らない部分だと思います。
バレーボールのゲームも、いろんな要素が絡み合っていて、次の展開を完全に予知しきれないし、その場面を再生することはできません。ですから、場面やプレーひとつを切り取って、しかもその一つをスキルや体力だと論ずるには限界があると思っています。
これまで、過度なスモールステップの弊害と、そこから派生してきた「型ハメ」の弊害をしてきました。要素ごとに細分化して練習するのではなく、バレーボールなのだから、バレーボール(ゲーム)のシチュエーションで練習する。バレーボールという球技特性の中で各スキルの反復練習やゲーム力を高めていく練習をしていく必要があると考えています。
以前までは、日本のバレーは、「技術はあるが、高さやパワーで圧倒されている」とよく評している人たちが多かったように思います。(私はそもそもそれ自体肯定するものではありませんが。)
ところが、現在では、高さやパワーで劣っているだけではなく、高いと思われていた「技術」でさえ、世界の大型選手よりも日本は劣っているという評価が普通になされるようになってきました。
では、どこに課題がつまづきがあったのでしょうか?遺伝子やDNAといった問題なのか?そんなこといったらそもそもオリンピックで勝とうなんて目指さない方がいいわけです。1990年代に世界を牽引した男子のイタリアや女子のキューバ、2000年代ではユーゴスラビア男子やブラジルの男子や女子・・・いずれにおいても、当時は高さを標榜したオランダとかロシアなどがあっても、そこに勝てたのはまさにその証明となっていると思います。
日本における練習や育成の当たり前を見直す
そこでずっと提案しているが、「育成段階の指導」 と 「練習アプローチ」 です。
いろいろな話を聞く限り、日本におけるバレーボール環境は、世界有数なものだと思います。小学生の小さな子どもの段階から、高度なプレーで競い合っています。練習量も相当なものです。だから、世界で勝てないのは、練習量とか経験値の少なさということは言えないと思います。ですから、日本で繰り広げられている「練習」というものの、形態やアプローチをこれからは再考、研究していかねばならないのだと思います。当ブログにも、それにかかわる記事を過去にも書きました。
指導現場において、「練習」と言いますと、技術・戦術・パス・ディグ・スパイク・サーブ・ブロック・・・・などと分割したトレーニングをよく行います。
しかし、バレーボールは、ネットの向こうにいる対戦相手とのボールのやりとりの中でゲームを進めるわけです。ですから、相手がしてくることは不確実なことが多く、よりそれに対策、対応する力が求められるわけです。
インプレーでは、ボールを止めることはできません。ですから、ボールが動いている中で、思考判断、コミュニケーション、位置取りをしていかねばなりません。
ネットをボールが行き来し、攻守が入れ替わります。この切り替えの中で、プレーを構築し、より自分たちが優位になるように、組み立てていかねばなりません。
コート上に6人制インドアバレーだったら6人が、ビーチバレーでは2人がいるわけです。ですから、複数人間での連携やコミュニケーションが必要になるわけです。
今、4つのポイントを挙げてみましたが、これが、バレーボールの特性だと思います。これを練習したり、これらに対応できる練習をしなければ、本当の意味でのスキルアップとならないわけです。
これまで、指導現場にいて、トレーニング理論も非常に狭義のものというか、筋力トレーニングに関するものとか、プレーに伴う一つひとつの動作を説明する構造論だとかが多く、バレーボールのゲーム力を向上させるための、練習理論というか、学習理論に言及されることがあまりないまま今日至っているのではないか?と考えています。
もう少し、練習(と言われているもと)と試合の境界線が極力無くなるような練習を行い、場面が再生しにくい次の展開が予測不可能な出来事の連続の中で、日常の練習がなされることが必要だと考えます。そこから想定外の場面の対応策を考え習慣化させることにもつながるわけです。
新しいモデルで実践してみることに
下に、そういった考えをまとめてモデル図にしてみました。緑色のラインが、これから育成で求められることではないでしょうか?
確かに、一つひとつを練習していくと、指導の効果、練習の効果が眼に見えやすいです。(青色の階段ラインです。) ですが、そんなことをやっていては時間はいくらあっても足りないわけです。ひと通りのスキルができるようになってから、ゲームをやりだしても、もはやタイムオーバー。またはゲームをやり出しても、今度はつなぎの練習や連携の練習、コミュニケーションの指導を一からやらなければならないことになります。
一方、緑色は、バレーボールのゲームのクオリティからすれば、はじめは様々なミスが目立ちます。一つひとつのプレーの正確性や精度などは見ていて苛立つことが多いかもしれません。しかし、確実に「ゲームを自分のものにする」という部分では、前者の青色ラインよりも、日常化できます。あとは、一つひとつのスキル・・・いわゆる「基本」というものを、適宜フィードバックしたり、インターバルのある反復を取り入れて学習させていけばいいのだと考えます。
指導現場で、もう一つよくある現象は、コーチングする側(指導者)の練習設定です。多くは、強豪チームの指導者がやっていることや聞いたことをそのままコピーすることが多いです。ですが、眼の前にいる選手というのは、当たり前ですがレベルも条件も違います。ですから、「こうすればよい」といった特効薬はないのだと思います。ハウツーは千差万別、そこはコーチングする人が、選手と向き合い必要なものは何かを考えるところから、選手の育成やチームの強化がはじまるのではないでしょうか?ですが、残念なことに「これをすれば大丈夫」的になってしまいます。
ただ、コーチする側を一方的には責めることもできません。なぜなら「ゆとり」がないからです。何のゆとりかと言えば、コーチングについて学習したり研修したりする機会、考えたり思考錯誤する機会が与えられていないのです。今や、指導者が集まっても練習方法や戦術について、とことん話し合うこともないドライな世界になってしまいました。なぜか?といえば、周囲が「結果」を求めるからです。時には指導者業界での評価、あるときは選手の親からの要求・・・。そして避けることのできない年間の大会スケジュール。これでは「育成」なんて言ってられないわけです。結果、「効率」を探そうとします。
上のようなシートを作成してみました。これは、指導者が単なる効率を求めた練習の模倣をするのではなく、自分で「練習を開発する」ということを進められないか、と思ってつくりました。練習のコンセプトは、やり過ぎスモールステップでもなければ、型ハメでもない、「バレーはバレーで学習する」というものです。いわゆるゲーム形式、ラリー形式の練習で、どのような意図をもって練習できるかを思考錯誤するためのものです。
こちらの図は、カナダのLTADモデルを、日本のバレーボールの育成に転用できないかとつくってみたものです。
これからの時代、これからの日本のバレーボール、もう目先の勝利、一人の指導者が囲い込んだ選手だけのための練習や育成をしている場合ではありません。選手一人一人の個性やモチベーション、そして人生に寄り添って、彼らの今から何かを引き出し、彼らが自発的にモチベートしていくような働きかけを、コントロール・アプローチからオートノミー・アプローチへ。
日本はまだまだチーム組織も指導者も学校組織に依存したものではありますが、そのカテゴリ内の2~3年という比較的短いスパンの中でも、これまでは単年度スパンだったものを広げて2年半のスパンでピリオダイゼーション化することにチャレンジする価値はあります。
これからも熱意ある多くの方々にお会いして、いろんな意見交換ができたらいいなと思います。
(2015年)