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足りないのは、指導内容より「教授法」とか「導き方」

ハウツーを欲しがる思考停止の指導者たち

 バレーボールの練習では、どうしても「ハウツー」に眼が行きがちです。でもきっと、どのスポーツの練習やスキル習得でもそういう傾向はみられたりするのかなと思います。スポーツに限らず、例えば、英語学習やダイエットなどは、いつの時代になっても無数のハウツーやプログラムが登場しています。
 もしも、万人に適応する、確実な方法があるのなら、それはもはや「定着」し「確立」されているのだと思います。でもそうなっていないのは、プログラムやメニューに普遍性や絶対はないということ、人によって適合するものもあれば、そうでないものもあったり・・・ということになるのだと思います。

 例えば、バレーボールの指導者と交流したり、指導現場を見ていると、「練習メニュー」への要望が多かったりします。「何かいい練習方法はありますか?」、「練習の引き出しを増やしたい」といった類のニーズです。そして、強豪校や有名指導者の練習メニューを模倣している場面によく出くわします。私も一時期、そういう「練習のコピー」に終始したのですが、効果はゼロとはいかないまでも、なかなか消化不良で終わることが多く、また別の目新しい方法を求めることが多かったりします。まさに、英語学習やダイエット方法のそれと同じなわけです。

 「プレーヤーズ・ファースト」という言葉が言われるようになりました。

 どちらかというと、スポーツにおける倫理観やモラルで使われることが多いこの言葉、選手を尊重するとか、選手の尊厳を守るとか、いろいろあるでしょうが、練習のアプローチの側面で言えば、「主体者は選手である」、「やるのは選手本人」、「学習し習得するのは選手自身」
「やる意味は選手自体にある」ということになると思っています。

 ですから、練習のやり方についても、指導者が「これをやりなさい」という風に与えるのではなく、選手自身がモチベーションを生み出し、目標を定め、試行錯誤と工夫を重ねながら成長と達成をかちとる。指導者は、その選手のために必要なサポートと修正の手助けをする。そういったことが、指導者が考えなければならない「練習のカタチ」なんだと思います。

 練習メニューをただ単に仕入れて、そのまま自分のチームでやらせても効果は薄いということは断言できます。それよりも例えオリジナルな練習でも、指導者が持っておかねばならない指導スキルや材料というものがあるのだと思います。
 指導者は、練習メニューコレクターだけではいけないのだと思います。

① 選手との対話ができるコミュニケーションスキル
② できるようにさせたいスキルの運動的構造を理解している。
③ 運動の学習プロセス・習得プロセスを学んでいる。
④ 集めた練習ドリルの中から、個々の課題に合うものを提供できる。
⑤ 「できない」~「できる」までの、間にある「~」の状態を理解している。
⑥ 選手のメンタルやモチベーションのマネジメントを学んでいる。
⑦ 指導者自身のメンタルマネジメントを学んでいる。
⑧ フィジカル強化やケアについては、積極的に外部人材の協力を得る。
⑨ 個におじた、状況に応じた課題を設定できる。
⑩ 選手自身にフィードバックを与える
⑪ 勝ち負けに軽重なく、学ぶ姿勢や課題解決能力を要求している。
⑫ 選手の試行錯誤を見守る。試行錯誤の在り方を考える。
⑭ 休養の大切さを認識し、積極的に休養をとりいれている。
⑮ 選手に区別をもちこまない。選手を切り捨てない。
⑯ 練習ドリルに正解はない、自分の眼と判断で練習をつくり構築することが大事。

 思いつくものを挙げてみているわけですが、いずれも「何かいい練習メニューはありませんか?」だけでは、コーチングしたことにならない要素があると思うわけです。
 これから指導者が自身の指導スキルで補わなければならないのは、ハウツー的な練習メニューの収集ではありあせん。理論やドリルに傾倒する前に、指導者は自分の頭でよく考え、自分自身の中で長短や疑問点を洗い出し、取捨選択していくことが重要です。そして、他人の理論をコピーするのに終始せず、指導者自身の経験や個性を生かし、どのように選手にアプローチし、どのようにサポートするかという、教授法や導き方、「考え方を教える」ということになるんじゃないかと思うわけです。
 「指導」から「コーチング」と当たり前に言えるような環境を目指したいものです。

「何をやらせるか」よりも「どのように学習させるか」

最近、行った指導者向けのレクチャーで伝えた項目を紹介します。

私が考えることがすべて正しいということを伝えたいのではなく、
これまで、子供たちにバレーボールの練習の場を提供するにあたって、
指導者となっている大人側の視点で、足りないものを一緒に考えてみませんか?
というテーマで考えました。

私も、コーチング駆け出しのころ、20代の若い時は、とにかく実績あるチームや指導者の練習メニューや指導内容をコピーして行うことに終始していました。
しかし、それ「だけ」ではいっこうに自分のチームに成果が出ることは少なった気がします。数多く開かれている指導者研修会、講習会、オンコートレクチャー・・・では、練習ドリルの提示を通して、そのメニューのハウツーにおけるポイントを伝達されることが多いです。
しかし、それを自分の自分のチームに持ち帰っても、うまくいかないことが多かったのはなぜでしょうか?やはり、指導者の声や表情、言葉遣いや息づかいは人によって違うし、視点や着眼点、そしてメンタルの状態も違います。そのような違いによって、外面は同じ練習をやっていても、選手へ伝達されるものや練習効果は違ってくるのだと思います。

そこで、私は近年では、練習メニュー、つまりドリルのやり方やハウツーの種類の違いよりも、選手へのアプローチや、プレーの着眼点、どのようなコーチングの姿勢や態度をとるのか・・・そこをまず学ぶ必要があると考えるようになりました。

① 練習メニューよりも、指導するポイントや着眼点

➁「~するな」より、「~してみよう」を提示する

③やってほしくない事項は限定的に

④やってもいい事項は幅をもたせる

⑤失敗やミスよりも、できていることに目を向ける

⑥今できないことより、近い将来できるようになりたいことに目を向ける

⑦結果よりも、プロセスや姿勢を評価する

⑧指導は個別に、褒める称賛は人の前で 

⑨今すぐできるとは思わない

⑩今できないことに挑戦=「練習」、今できることで挑戦=「試合」

⑪指導者の指導における欲求やモチベーションはどこにあるのか?自分のエゴに向き合うまで徹底的に自問自答を

 「勝利至上主義」という言葉とそれに対する議論が出始めてから久しいわけですが、勝利至上主義という言葉にもいろんな捉え方というか幅があるというわけです。
 スポーツにおいて、勝利というのは、楽しさや喜び、モチベーションとなる大きな要素の一つであるわけです。ですから、勝つこと、勝ちたいこと、勝利を目指すことを頭ごなしに否定するのは少し違うと思うのです。
 勝利至上主義で問題になってきたのは、「勝利の求め方」であり、「勝利への動機」であり、「勝利の目指し方」だったりすると思うのです。体罰だったり、指導者の高圧的な態度だったり、指導者の保護者へのリスペクトに欠ける過度な要求だったり、選手の切り捨てや贔屓だったりするわけです。
 しかし一方で、勝利を目指す過程にって、得られる素晴らしいものがたくさんあります。試行錯誤の経験を通した「学習の学習」とそれによる「成長」、感動や成功の経験だったりするわけです。ある意味、勝利によって得られる力は、勝利しないと得られないかけがえのないものでもあるかも知れません。
 ですから、「勝たなくていい」というものではありません。
 同時に、「勝たないと意味がない」というものでもありません。

私は、指導者がいかに楽をして短期間で勝とうとするか、いかに確実に勝とうとするか。
そういう姿勢に問題があると思っています。
「勝利至上主義」以上に、「勝利最短主義」が問題だと思うのです。

ですから、指導者の多くは、練習メニューやドリルの種類など、ハウツーに依存した求め方に走っているわけです。
「プレーヤーズ・ファースト」という言葉も言われるようになりました。
その言葉は、ただ単に褒めるとか、勇気づけるとか、そういうことだけではなく、
スキルアップは、選手自身の経験や学習の中で、自ら獲得するものである。
という点でも言えると思います。
これが指導者ファーストとなるから、ハウツー的なやらせる練習になってしまう。
結果、選手への練習効果が上がらないまま、それを選手の能力や努力不足のせいにされてしまう。
このような問題がもっと議論され、当たり前のように研修や講習で学び合わなければいけないことだと思います。

指導者は、なぜ自分のチームに情熱を注いでいるのでしょうか?
チームの勝利のため?選手の成長のため?保護者を喜ばせるため?
教育のため?人間育成のため?
きれい事を周囲にアピールするだけでは意味がありません。
時々、誰にも言わなくてもいいから、自問自答するべきです。
そして自分の本心、自分のエゴに向き合うまで、
指導する自分のモチベーションや欲求と対話すべきです。
「とにかく勝ちたい」
「勝って周りの指導者を黙らせたい」
「負けたことを非難されたくない」
それが本心だったとしても、私は非難しません。
問題は、自分の本心と向き合わず、本心を隠していることだと思います。

しかし、自分の本心を、選手や保護者、周囲の人達に受け入れられるものかを考えておく必要はあります。
もし、そこに自信がもてないとすれば、それは軌道修正すべきだと思います。
そうやって、今の時代に合った、または自分が置かれている環境でより最適なスタンスを見つけていく努力も必要だと思います。

コーチングの学びにゴールはないですね。


(2018年)