連載小説:黄色の駅(仮) Vol.5
※毎週金曜更新予定
10:55分にアポ先の製薬会社に着く、普段であれば、待ち合わせの15分前には到着しているので、感覚的にはちょっとした遅刻だ。
「あんなことがあったのだ、仕方ない」自分にそう言い聞かせる。
幸いなことに、今日のアポは私ひとりだけ。これが代理店の担当者であったり、上司や同僚がいたら何を言われるかわからない。うちの会社はそういうところはしっかりしてるというか過剰というか、絶対にアポの10分前には「現場」にいる。下請け根性が染み付いているというのは言い過ぎだろう。生存戦略というものだ。
情けないことに、昨日のお酒が残っていて、じんじんと頭が痛んだ。幸いにも今日はデザインの簡単な戻しだけ。それも以前に制作したものの微修正なので、この状態でも乗り切れるだろう。この案件は長い時間先方でストップしていたので多少の苛立ちがあったのだが、昨夜のこともあってそんなものは吹っ飛んでいた。
先方は恐縮しきりだったが、正直に言って心ここにあらずだった。結果としては鷹揚に構えられてよかったかもしれない。怪我の功名というか、担当者との会話もいつもより弾んだ気がする。
私は少し緊張しすぎるところがある。クライアントや上司が言った些細なことが気にかかり、こだわり過ぎてしまう。
で、それだけこだわったわけだからと、相手にもそれを求めてしまう。
「もっとリラックスして」と言われることが多い。
前職の出版社のときには、そこにセクハラが加わった、
「そんなんじゃモテないよ」
「女はにこにこしてるのが一番」
当たり前にこういう言葉が飛び交っていた。
そんなストレスをどう発散していたかというと、そう、お酒である。
酒豪だったという父の血を引いたのか、お酒と名のつくものであればなんでもいける。量もだ。
ここで過去系にしたのは、今は服薬の影響であまり量は飲んでいないからだ。職場でも公にしていないのだが、前職をやめる少し前から鬱病の診断を受け、いわゆる抗うつ剤であるSSRIを飲んでいる。
鬱に陥ってしまったのは、この緊張しすぎる性格が大きいと自分では感じている。常に気を張っている状態が続き、それをお酒で緩和する毎日。アルコールに依存する自分を感じて、お酒を控えてみたが、そうすると夜が眠れない。
当時担当していた自己啓発本の作家に相談すると、医師から睡眠導入剤を処方してもらってはどうかと提案された。
さっそく内科を受診すると、心療内科を紹介された。私がたじろいでると、絶対に受診するようにとその内科医に念を押されたのだった。
今考えてみると、睡眠導入剤を勧めてくれた作家も私が鬱状態であることに気づいていたのだろう。当時の写真をみると目に光がない。それどころかカメラ目線ができているものが一つもないのだ。
抗鬱剤を飲むと、ふわっとした幸福感が訪れ、不安が解消される感覚がある。ただ、離脱症状というか薬が切れたときに吐き気や虚脱感が襲ってくるので、服薬のタイミングや量の調整が重要になってくる。
さらに注意が必要なのがアルコールとの飲み合わせだ。この手の薬は肝臓に負担をかけるので、アルコールの分解に普段より時間がかかってしまう。これによりお酒を飲んだとに眠ると、信じられないくらい多く眠ってしまう。過眠の症状があわられるようになるのだ。
お察しの通り、大きな失敗をしたのがお酒を控えるきっかけになった。
前職時代に職場の送別会で飲みすぎた挙句、次の日に大遅刻をしてしまったのだ。朝には強く、時間には厳しい方だったので、普段であれば考えられないことだった。
その日は売れっ子作家との打ち合わせがあった。人に対して厳しく当たっていたくせに、絶対に遅刻してはいけないところでやってしまったのだ。
自然と職場での立場は悪くなった。
自分にも周囲にも厳しくいることで、なんとか保っていた緊張の糸がきれてしまい、やめる方向に傾いていった。
じつのところ、立場が悪くなったと感じていたのは私だけなのだと思う。
小うるさい女が勝手に潰れだけの話だ。
皮肉なことに、やる気をなくしてからの方が「モテないよ」なんて声は聞かなくなっていった。
そんな経験もあり「飲みすぎない」ことは私にとって最重要事項になっていた。またあんなことは繰り返したくない。なのになぜ......。
今日の朝起きたときは生きた心地がしなかった。あのとき、やってしまったときと同じ感覚がしたのだ。
もっとも「やってしまった」のは同じかもしれないが。
打ち合わせが終わった後、渋谷まで戻り駅近のエクセルシオールに入った。幸い急ぎの仕事はない。休憩しつつ昨日のことを思い出してみることにした。
アイスコーヒーのLサイズを注文した。店員に聞き返されたことで、苛立っている自分に気づく。そういえば薬を飲み忘れている。
慌てて薬を飲み干し、アイスコーヒーの苦味を味わう。
神経を集中させるが、どうにも思い出せない。酩酊状態の人は記憶をなくすのではなく、そもそも覚えてすらいないのだという話があるが、そういう状態だったのかかもしれない。
なかば諦めかけた頃、何かが記憶の「へり」を捕まえた。
アイスコーヒーのなかで溶けかけた氷と、昨日のジントニックの氷の溶け具合が重なった。
今朝方のラインは、私が頼んだものだった。
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