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連載小説:黄色の駅(仮) Vol.2

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 どうしてもこの街が好きになれなかった。メディアでは「おしゃれな街」としてすっかり定着している。「住み心地が良いうえに、昔ながらの下町情緒を残している」なんて喧伝されている。下町情緒ってなんだ、住み心地なんて主観じゃないか。三軒茶屋を紹介する文章の全てに添削をかけたい。
  そう思っていた。

 僕は生まれも育ちもこの街というか、ここ以外に住んだことがない。父親もここの出身で、その父親もそう。いわゆる地主というやつで言ってしまえば土地成金である。
 今住んでいるのは、自分名義のマンションで、ついでに言うと一棟まるまる「うち」のものだ。これ以外に2つマンションを所有しており、それとは別に一軒家もあって、これが僕の生まれ育った実家だ。今では飛び地になっているが、戦争の前までは実家のから駅まで全てうちの土地だったそうだ。
  そんな話を酔っ払いながらする父が大っ嫌いだった。
     生まれながらに持っているものを誇るなんてどうかしている。しかもそれが「土地」だなんてみすぼらしい。

 そんなにこの街が嫌いならば出て行けばいいじゃないかと思うかもしれない。僕もそう思う。
 住む所はある。しかも、2LDKのRC造マンションである。公共料金も払わなくていい。それを全て捨ててこの街をでるような度胸はない。
 ただただこの状況と、この街に文句を言っているだけだ。

 ここは強調しておきたいのだが、僕は決してニートではない。神保町の出版社で校閲の仕事をしている。大学時代は日本文学を専攻していたので、その伝手でこの職を得た。大学時代といったが、実は院まで行っていて、院生時代にアルバイトとして入り、そのままずるずると就職した。
 だいたいが日本文学に傾倒していたわけでもない。モラトリアム期間が欲しかっただけだ。大学は修士2年の夏休みにあっさりと辞めて、それからだらだらと働いている。
  雇用形態は契約社員で、ボーナスも昇級もない代わりに残業もない。遊ぶ金さえあればいいし、言ってしまえばそれだってなくたっていいのだ。
 ただ、ここを辞めてしまうと社会とのつながりがなくなってしまう。それに「ニートではない」と言えなくなってしまう。
  どんなクズでもしがみついているものがあるのだ。

 それに、あの街から出る時間があるというのも僕にとっては大事だ。
神保町にいると、やっとなにものでもない匿名の自分になれる気がした。
  そういえば、神保町には父に連れられて良く来た。
  「本だったらいくらでも買っていい」と言われて育った。今考えると自分が本を買うのに付き合わせるために、連れてきていたのだと思う。
  
   とにかく本だけは良く読む人だった。

 本を読みながらスコッチを飲む。タバコはハイライト。
   その光景は脳裏に焼き付いている。

 大学を辞めるときに担当教授の坂口先生に挨拶にいった。僕を研究室に誘ってくれた人だ。
  ひとしきり辞める理由を話すと、先生はこう言った。

 「いずれにせよ、君は書くことを仕事にすることになると思う。研究じゃなくても、何か自分のために文章を書いてみてはどうかな? 小説なんかはどう?」

 苦笑いのような泣き笑いのような、なんとも言えない表情をしてしまったと思う。

   父は売れない小説家だった。

 

 

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