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連載小説:黄色の駅(仮) Vol.7
※毎週金曜更新予定
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すずらん通りのバー「ami」は、悠太と名乗るその男が1人で切り盛りしている店だった。音楽は白人のボサノバとハードバップ。くつろげるんだか、緊張させられたのかよくわからない選曲だった。
飲みものはワインが充実していた。値段も手頃なものからそれなりのビンテージのものまで、意外に豊富に取り揃えているようだった。
もっとも、私はお酒に関しては飲めればなんでも良いタイプなので、ビンテージがどうこうという話はわからない。高いものも割とあるなと思っただけだった。
前にも言ったが、このビルの3階に入るテナントは長続きしない。内装は居抜きで、店名だけ変わるということを繰り返していたので、どことなく覇気がないというか、三軒茶屋での厳しい飲食店の生き残り争いで勝ち残っていけないだろうという店であり、店主ばかりだった。
散々な言い方をしてしまったが、それ故の気楽さもあって、私はこのビルの「3階のバー」がことのほか気に入っていた。3階のバー。店名は知らない。どうせ来るたびに変わるのだから、多少羽目を外しても問題ない。一期一会といえば聞こえがいいが、あと腐れのない関係が保証されている。そんな安心感があった。
少し飲み過ぎていた私がこの場所を選ぶのは、自然なことだった。
しかし、あの日訪れた3階のバーこと「ami」は、それらの店とは一線を画していた。店内は掃除が行き届いていて、自ら塗ったであろう白い壁と、一枚ものの、無垢材のカウンターには、これまでの店にはない、威厳のようなものが漂っていた。
内装工事を入れたという感じはしなかったが、丁寧なDIYという趣があった。頭上のグラスホルダーと、カクテル用のリキュールやソーダ類を仕分けるための筒状の入れ物。作業がスムーズにできるようによく考えられている。
私の知っている3階のバーにはないちゃんとした店のただずまいに、少しおののいてしまったが、良い店に当たるのが悪いわけはない。
水元さんも「さすが、良い店知ってますね!」と言っていた。
私たち以外に2組の「店主の友人ではない」客がいた。これもこれまでの店にはないことだった。
しかし「ami」という店名はなんなんだろう。スナックじゃあるまいし。メニューを検討しつつ、店名の掘られたレリーフを訝しげに見ていると、声をかけられた。
「祖母の名前なんです。彼女が料理を教えてくれて、それがきっかけでこの仕事を始めたので。」
3階のビルの店主とは思えない、気の利きっぷりだ。よく聞かれるということもあるかもしれない。
「素敵な名前ですね」
「スナックみたいでしょ」
「自分でもそう思うんですね」
そこまで会話が弾んだところで、水元さんが
「なんかいい雰囲気ですね。お二人」
と言った。
まず白ワインのグラスを注文した。水元さんが小腹が空いたというのでーーこの子は華奢な身体に似合わず、本当によく食べるーー前菜の3点盛りを注文した。
パテと真鯛のカルパッチョとカポナータ。これがなかなかどうして、そこらへんのビストロよりもずっと美味しかった。
聞けば、過去には本場でフレンチの修行をしたのだという。この味なら、もう少し大きな店で料理をメインにやっていけるのではないか。酔いも手伝って不躾なことを聞いてしまった。
水元さんも「絶対いけるよー悠太さんなら」と加勢する。
自然とタメ口が混ざっている。他の人がやるとぶりっこに感じるようなことも、この人がやるとまったく嫌味がない。モテるだろうなこの子は。
少し嫉妬を感じている自分に気づき、驚く。
「実はビストロみたいなことをやっていたんですけど、バイトに持ち逃げされちゃって。それで人を雇ってやっていくっていうのが、ちょと嫌になっちゃって。1人で完結できる範囲でやってみようかと思って。」
「1人で完結できる」という言葉にものすごく惹かれるのを感じた。
幼少の頃からずっと、1人でいることが好きだった。母ひとり子ひとりで育ってきたという生い立ちも影響しているかもしれない。私の心はひとりであることを常に求めていたように思う。そこに自由があると感じていた。
でも、当たり前のことだけれど、人はひとりでは生きていけない。いや、ひとりで生きていきたいわけではない。自分ひとりで、価値あるものが生み出したい。でも結局、これだという情熱をかけるものを見つけることすらできていない。
仕事柄、一匹狼というか自分ひとりで仕事を完結させることができる人によく出会ってきた。デザイナー、プランナー、コピーライター。そんな職人タイプの人たちだ。
私の名刺にはディレクターとある。が、ときどき右から左へ仕事を動かしているだけに感じてしまうことがある。
いなくても良い存在に思えてくることすらある。
カウンターに立ち、美しい所作で全てのことをコントロールしている。悠太の姿はすごく眩しく見えた。
今日は飲もう。そんな気分になっていたのを思い出す。私はジントニックならばいくら飲んでも酔わない。ドリンクのチョイスがその時の気持ちを思い出させる。
もう認めても良いだろう。私は、この人に惹かれ始めている。
その日の最初のジントニックを飲み終えた頃に、私たちの前にいた客が1組帰った。次のジントニックが運ばれてくる間に、もう1組も帰り、私たちだけになった。程なく閉店時間になったのだろう。店頭の看板をひっくり返し、CLOSEにする後ろ姿を見ぼんやりとていると、水元さんが声をかけた。
「悠太さんも一杯どうですか?」
「じゃあこのボトル開けちゃったんで、みんなで飲みますか?」
その白ワインはオーパスワンの向かいの畑で取れた葡萄で作られらものだそうだ。
とても美味しかった。なんだ、ジントニックのあとにワインを飲んでいるじゃないか。心地よい、酔いを感じたながら口走ってしまったのを思い出す。
「明日起きられるかな」
「悠太さんにモーニングコールしてもらえばいいじゃないですか」
水元さんがあの毒気のない声で、そういった。
それが最後の記憶だ。
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