同い歳の恩師と交わした、いちどだけの乾杯。
ひとりで電車に乗るのなんて、いつぶりだろう。
混雑に少し辟易しながらも、弾んだ心は隠せない。
ぶつかった人にすら、少し笑顔で挨拶してしまいながら
自分の不気味さに苦笑いしてしまう。
これは4年ぶりの冒険。
ずいぶんと昔、バイトで初めて六本木駅に着いた時のことを思い出す。
駅の中を移動する人々はある意味同じ意思を持っているように見えて
アジの群れみたいだなって思いながら歩いてた。
実際、方向をいちど覚えてしまった体は
大きな海流を辿っているような感覚で
いつもと違う出口にうまく向かうことができない。
無理だ。
諦めたわたしは、いつもの階段を上る。
ここで方向転換、こっちサイドにいた方が人の邪魔にならない。
ほらね。ちゃんと覚えている自分を誇らしく思った。
待ち合わせの瞬間は何だか恥ずかしくて、
あんまり顔をしっかり見ることもできずに
なんとなく当たり障りない言葉を駆使してやり過ごす。
恋心は抱いていないはずなんだけどな…
ふたりが目指したのは
有名なステーキハウス。
予約はしていなかったから
空いているバーカウンターに席を見つけた。
わたしはむしろカウンターの方が好き。
大事な話ができるような気がするから。
同じ方を見てるような気になれるから。
そんな気持ちで
同じビールを頼むのだ。
ほら、同じ目標に向かってるような気持ちになれる。
人生の中でどきどきした乾杯はいくつかあるんだけれど
今日の乾杯は格別。わくわくする。
この人は、同い歳のわたしの恩師である。
おこがましく言えば、
片割れのような気持ちを抱かせる愛しいひと。
そもそも、私たちはどこで初めて会ったのだろうか?
私たちはとても近い場所で育てられたのだ。
帰るのが億劫で、勉強とは名ばかりに
時間をただやり過ごしたくて入ったコーヒー屋さんだったかな。
何もない自分が悲しくて
空っぽを埋めるために入った本屋さんだったかな。
それとも、
生ぬるい煙草の匂いが鼻につく
向い合わせのホームの端っこに立っていたときかな。
お互いが中学で家族への絶望を経験し
それでも必死に何事もなく
普通の中学生を装って
皆と同じような恋に悩んで
皆と同じような曲で感動して
皆と同じ感覚を必死で追い続けてきたのだ。
普通を貫くことは、とても難しい。
安心できる枠内にいるために
時に短いスカートをはき、
時に図書館で勉強をし、
時に適当な彼氏も作る。
きっと何とも言えぬ高校生活を過ごし
なんの色にも染まれない自分を愛すと同時に責め、
自分のせいで何かの歯車がずれたのだと
夜空にため息をついていたのだろう。
わたしもそうだった。
毎夜マンションの屋上に上っては
見つからないように身を低くして
夜の音を聴く。
なぜわたしは皆と同じようにできないのだろうと
悔しくて悔しくて悔しくて、
きっとどこかにわたしの片割れがいるんだと
だからまだ不完全なだけだと言い聞かせた。
でも勇気のないわたしは何もできないまま
皆と同じフリをその翌日もするだけだった。
ただひとつだけ、わたしと彼女との決定的な違いがあった。
彼女は、高校卒業と同時に「自立」を選んだのである。
恐らく進学校では学年に1人いるかどうかの選択だろう。
あえてそれを選ぶということに
どれほどの大きな意味と決意が含まれていたのか
はかってくれる大人は果たしていたのだろうか?
わたしには、自信がなかった。
だけど、早く自宅を出られる方法をと思って
大学進学以外の道を選択しようとしたとき
誰よりも周囲の評価に敏感な母はそれを許さなかった。
家出をして、友達の家に泊めてもらって
たった1泊の家出だったけれど
少しでも心配して探してもらったことに気を良くして
勇気のないわたしは結局家に帰り
「受験します」と言っていた。
恥ずかしい話だ。
わたしとは決定的に異なる選択を
勇気あふれる選択をした彼女は
その後20年近く経ってから、わたしの人生を揺るがすことになる。
やっと正式に彼女に出会ったわたしに
彼女の思考と行動、葛藤、多くの感情の起伏、生き様を示した。
わたしたちが抱えた問題は、闇が深いのだろう。
勇気ある選択をしたにも関わらず、彼女の苦悩は深かった。
その根底にある澱のようなものを見るたび、
わたしの澱もずるずると引っ張り出されてくる。
忘れていたと思っていたもの
もうなくなっていたと思っていたものたちが
音もなくたらりたらりと流れてくる。
耳を塞いでも感じられる声、
音、匂い、空気の生ぬるさ
この時に初めて、闘う勇気を持つことができた。
わたしと違う選択肢を選んだ彼女であっても
情けないわたしが選んだ選択肢であっても
ぶつかる問題は同じなのだ。
闘う以外にもはや乗り越える方法はない。
決意したわたしに
大丈夫なんにも心配いらない、と彼女が言ってくれるまでに
それから1ヶ月もかからなかった。
それから1年ほどかけて、
やっとこの乾杯までたどり着いたのだ。
忙殺されるスケジュールの中
やっと、ぎゅうぎゅう詰めの電車を乗り継いで
4年ぶりの冒険にこぎつけたのだ。
その日はあっという間に時間が過ぎて、
新しい秘密を共有したり
懐かしいような空気に満足したり。
また電車に飛び乗って、にやにやしながら
不気味に帰り路を急いだのだった。
それからもうすぐ2年が経とうとしている。
彼女は大きく飛躍を遂げ、
わたしは小さな自由を手に入れた。
やはり相変わらず
片割れのような気持ちを抱かせる愛しいひと。
本当は、またすぐ会えると思ったけど—
世の中はいま、大きな大きな渦の中にあって
またすぐね、の頼りなさにため息が出る。
だけどこの間ね、
わたしが
「ファンタジーの世界観にあってのみ希望やリアリティが持てる」
って話をしたら、
彼女は
「桃太郎の桃が拾われないまま海まで流れていく物語を考えることがある」
って。
わたしは、パズーが初めて受け止めたシータの重みが
何よりもリアリティのある「愛」であるか、について話していたのに。
…恐ろしいB面を併せ持つ彼女に、
まだまだわくわくさせられるのだろう。
また乾杯しよう。
また六本木でにやつきながら待ち合わせして、
また美味しいステーキを食べながら語ろう。
また、乾杯しよう。
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