子どもと教師の「相性の良さ」とは
いよいよ新年度が始まります。新しい学級づくりの時期です。子どもたちも新しい先生との出会いを心待ちにしています。
年度代わりの時期には、発達障害など支援が必要なお子さんの保護者は「今度の先生はうちの子と相性が良いだろうか」と心配することが多いです。
ぶっちゃけて言うと、子どもと教師の相性というのはあると思います。ですが「相性」の中身を精査すると、それは子どものニーズに教師がチューニングを合わせて「ちょうど良い支援」を提供できるかどうかの問題だと思います。
例えば集中力が続かない子どもの場合、最初は集中していても授業が進むにつれて徐々に低下し、授業から注意が逸れてしまいます。ところが集中力が途切れてしまう直前に、教師が上手に声かけをすると、ハッと子どもの注意が授業に戻ってきて集中力を持続させることができます。
実力がある先生は、うまく子どもの集中力が途切れる瞬間を把握し、タイミングを逃さずに「ちょうど良い支援」をしています。一見すると特別なことをしているとはわからないので(教師本人も無意識にやってることも多い)、「あの子とあの先生は相性が良い」と表現されるのだと思います。
ただし、これは相当微妙なタイミングなので、少しでも遅くなると子どもの注意は戻ってこないばかりか、声かけは集中できていない子どもへの叱責として伝わってしまいます。その結果、「同じように声かけをしてるのに反応が違う」→「相性が悪い」という解釈をしがちですが、相性云々の問題ではなく「ちょうど良い支援」になってないことが原因です。
ところが難しいのは、一見すると「相性が良い」と見られているケースの中に、「ちょうど良い支援」を与えているのではなく問題が表面化しないように押さえつけてしまっているだけ、という場合があります。先ほどの例で言えば、集中力が途切れる相当前のタイミングで声かけをして、それを繰り返すなど、いわば過剰な予防をしていることがあります(電池の容量を使い切らずに交換するみたいな感じでしょうか)。そうすると確かに問題は表面化しませんが、長期間の過剰な予防は結果的に子どもの成長の機会を奪い、教師への依存を強めます。
そのようなケースでは、担任が交代した後で問題が表面化することがあります。周囲からすれば「今度の担任とは相性が悪い」と解釈しがちですが、果たして新担任だけの問題とも言えないでしょう。そのような場合、子どもと教師の関係性を再構築する必要があり、新たな関係性が出来上がるまで時間がかかります。
結局のところ、子どもと教師の関係は相性云々で済ませられるようなことではありません。もし相性というものを定式化するのならば、その子どもにとってのちょうど良い支援のあり方とは何かを考えていくこと、つまり子どもの支援ニーズにチューニングすることこそが、子どもと教師の良い相性を作るということだと思います。