旅文通14 – 宇宙ロケットは本日もYouTubeから発射!
やすこさん、お帰りなさい。
すごい速さで変わる情勢の中で、自分自身の心をアジャストメントしながら暮らすということ。私も同感です。ここ数年来、そして去年の秋から、ほんとうに私たちの住む世界はますます過激で複雑になりました。ガザとイスラエル。ふたつの土地のどちらかひとつだけを選んで祈ることはできません。そもそもどの時代であれ、この世は決して簡単ではく、難解な迷路の上をなんとか人々は進んできたことでしょう。とはいえ現代の急速な変移は、あと戻りできない恐ろしさを感じます。もし中世からのタイムトラベラーが見たら、ただ呆然と涙を流すかもしれません。そしてすぐに元いた時代へとんぼ返りするかも。
先週末、私は友人宅を訪ねました。イスラエル国籍を持つ20年来の親友の家です。心地よく楽しく、この上ない土曜日でした。それでも当然のことながら遠く大西洋の向こうにある戦争というイシューは、ごく身近なものでもあり、私の胸に針を刺したままでした。
私自身はどうあるべきか。この世界の複雑さのありようを広く気づき、よく調べ、その向こう側にある真実を求め、自分自身の考えをみつける。そしてまたその複雑さに向き合う。そんなくり返しが日常を作り、未来を作るのだろうと感じています。
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アップステートの小旅行は収穫が多かったようですね。そうでした。ニューヨーク州の北には畑や森、山、滝といった自然が広大にカナダまで続いている。マンハッタンにばかりいると、近郊の豊かさをすっかり忘れ、こうして思い出させてもらっては憧れる。
お便りに書かれていたチボリ界隈は魅力的なようですね。私は行ったことがありません。はい、もちろん<詩人の公園>には行ってみたい、行きましょうとも。
ところで、やすこさんからそんなニューヨーク郊外でのバリシニコフ・アーツ・センターの話題が届く前日、奇遇にも私はYouTubeで久しぶりにミハイル・バリシニコフの動画を何本か観ていたのです。こういう偶然は大好き。まるでアップステートからバリシニコフが、グランジュテの大跳躍をしながらマンハッタンまでやって来たよう。やすこさんの体験と、Google社のYouTubeというサービスと、私のマインドがどういうわけか繋がっていると思うと面白い。
今日はYouTubeの話をひとつ。
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まるで朝昼晩と食後につかむ歯ブラシのように、私たちはYouTubeを日常のあたりまえの道具として使うようになった。そのサービスが始まった当初は劣悪な画質・音質の動画も多く、個人的にはそれほど関心がなかった。あれから20年ほど経った今、多くの欠点は劇的に改善され、楽しむもの、学習、調べもの、深遠なテーマ、踊りたいときの音楽など、膨大なコンテンツが無限にプレイされている。
もちろん私もそんな最強の動画配信サービスを楽しんでいるひとりだ。例えばどんな動画を?
私が特に近年、飽きることなく再生しているのはなにかというと、宇宙への旅立ち。すなわちYouTubeでライブ中継されるロケット打ち上げ動画だ。
ずっと以前はなかなか見れるものではなかった。数ヶ月ぶりに、ときには長い時間を経たのちに、満を持してようやくテレビ放送されていたロケット打ち上げが、今ではもうじゃんじゃん!空に向かって飛び立つようすが時差なく見れる。それらは宇宙計画のための実験や国際宇宙ステーションへの輸送などさまざまなスペースシップであり、発射頻度ではなんといってもスペースX社の衛星打ち上げのものが多い。実際は週に1度ほどのペースだが、あまりの高頻度にときには1日とあけずにファルコン9という名の白く細長いロケットが打ち上げられているように感じる。
YouTubeのトップページは、通常使用者の過去履歴が反映されたおすすめ動画が並ぶので、私のトップページにはたくさんのロケット発射予定、または発射前後の動画が並ぶ。サムネイルに馴染みのないロケット名や発射場が載っていると、まとめサイトのラウンチ・スケジュール(=ロケット発射予定)で容易に解明される。
ほどなく発射だといういいタイミングでライブが観られれば1番いい。複数のYouTubeアカウントが中継するので、視聴者は散らばっているが、ひとつのアカウントのサムネイル上で同時接続者数が2000人くらいを越えていると、そろそろだ。特別大きな機体であるとか、革新的な実験の要素があるとか、注目度の高いライブになると数万人同時接続し、おのおののパソコンや携帯を見つめながら、地上から宇宙へ向かう一部始終を目撃するのだ。
それはいつも美しい。
私は必ず、心の声で綺麗だな、と呟くことになる。晴れている日、雨の日、風のあるなし、朝なのか夜中なのか、環境の変移によって同じ映像であることは決してない。例えばこんなふう。
夜明けのどこか。海辺らしき土地で、空には薄いピンクの層が横たわり、その上にグレーの天が黙っている。中央にはロケットがじわじわと龍のように白い煙を吐き始める。打ち上げ予定時刻は迫っているものの、何かの不都合があればSCRUB(=中止)という文字が出て、長細い巨大生物はまたぐっすり眠ってしまう。そうでなければ、刻々と旅立ちの時間は迫ってゆく。龍から煙がさらに吹き出し、白く濃く立ち登り、カウントダウンの声が、いよいよ45秒、30秒を切ると、もう中止はないとほぼ確信できる。そして落ち着いていながらどこか高揚した声が言う。「10、9、8、7、6、5、4、スリー、ツー、ワン、イグニッション、アンド・リフトオフ」
すると地上では突然、積乱雲のような塊が四方へ伸び、その中央からオレンジ色の火を吹きながら、一匹の龍がまっすぐ上昇してゆく。まるでスローモーションのようにゆるやかな動きでありつつ、人が作った究極の激しい旅路の爆走にも見える。
宇宙への個人旅行は、つい先日、2024年の9月に人類で初めてアメリカの民間人が済ませた。加速する宇宙開発のその先には、人類の惑星移住がプランされている。世界のあちこちで、地球人が安心して暮らす難しさと悲しみが増え続け、その解決策のひとつに、住み慣れたこの太陽系第3惑星を離れるという選択肢が生まれているという。他の星に移住って、ほんとなの?とまだ思うけれど。
私は今日も、たぶん明日かあさっても、世界のどこかで打ちあげられるロケットのライブをYouTubeで観るだろう。夜、窓から見上げると、このアパートメントの真上にも、何の隔たりも壁もなく宇宙が丸見えにそこにある。近くて遠い将来、別の惑星へ旅する人をパソコンの画面で見送るのだろうか。それとも万が一、もしかしたら私自身が数百トンの大型の龍に乗って、発射場から旅立つかもしれない。そんな夢の中でみる夢のような夢を考えてみる。
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やすこさん、お互いが遠い宇宙に引っ越しても、たまには地球産の貴重なワインで乾杯しましょうね。