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旅文通4 - リスボンの買い物はみっつ -

やすこさんのリスボン滞在は半日だったというのに、アルファマ地区の坂を登ったり降りたりにはじまって、そうとうパワフルでしたね。急な坂道と一緒に暮らす現地の人々のアキレス腱はさぞや強そう。

名物のパステル・デ・ナタPastel de Nata(エッグタルト)はちょっと残念だったようで残念。私がおすすめしたかったパステル・デ・ナタの老舗を、是非次回の訪問リストに加えてください。そこへはやすこさんの根城アルファマの高台を降り、タージョ川沿いに西へ。トラムに乗って、途中に大航海時代を記念したモミュメントを通り過ぎて30分ほど。ジェロニモス修道院前停留所で下車するとすぐそこに見えるパステル・デ・ナタ専門店で、地元民だけでなく観光客にもよく知られているようです。
その焼きたての味が優秀なのはもちろんですが、店の奥へ奥へ進むと、大食堂というべき規模の爽快なイートインスペースが続き、青と白のタイルに囲まれて広がっています。そこではたいへんな数の人々がいっせいに、あつあつのタルトを頬張り、甘い香りに包まれていました。

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ある夏、ポルトガル人の女の子に、是非ともこれは食べて欲しいとのことで、彼女が里帰りの母国から持ち帰ったお菓子をもらったことがある。そのとき彼女はその掌におさまるほどの丸い焼き菓子を私にもわかるようにエッグタルトと呼んでいたけれど、実際は彼女にとっては生まれ故郷から持ち帰った大切なパステル・デ・ナタだったのだ。ニューヨークの中華街にもエッグタルトの店はあるが、そこでお菓子を買う習慣のない私には、ポルトガル土産のエッグタルトは新鮮でどこか懐かしい雰囲気のものだった。教えてもらった通りにトースターで焼くと、とても美味だった。

というわけでそれから数年後、私自身が本場のパステル・デ・ナタ食堂を訪れたとき、それがニューヨークへ持ち帰れることをちゃっかり覚えていた。クラシカルな修道院菓子に似つかわしく清楚な制服を着た店員は、持ち帰り用の細長い箱に数個つめてくれた。紙の箱の中で肩寄せ合った焼き菓子一同は、船ではなくジェットエンジンに乗って、大航海時代のように大西洋をまたいで北米東海岸へたどり着き、そのあつあつの生涯を終えたのだった。
これがポルトガルで買ったもの、その壱。

ふたつめは、手さげ籠。
早起きの朝のこと。宿を出て、リスボン独特の細長い階段や短い坂道などを上り下りすると、汗ばむ身体に普段とは違う何かが湧き上がってきた。どの角を曲がっても知らない道ばかりというのは旅先だけの喜びだ。こういう日に天気が良いのはありがたい。
旅人らしく首を左右によく動かして通りの名前を確認しながら、落書きだらけの住宅の壁や人気のない小路を抜け、早く着いてほしいようなもっと歩きたいような気持ちのまま、アルファマ地区の蚤の市に着いた。

この蚤の市は聞いたところによると古く13世紀から続くらしいが、敷居の高いアンティーク市といった様相ではなく、ビンテージのプロ業者と地元の人が古物を持ち寄ったとおぼしい気楽なマーケットだった。乱暴に置かれた額縁もあれば、貴重なのか几帳面に台に並べられたタイルの破片などもある。

人を縫いながら蚤の市ハンターの眼力を飛ばしていると、視線の先のある露店に目が止まった。籠だ、箱型の手提げ籠。遠くからでも色と形がアジア製ではないと見てとれる。近づくと、およそ私には見たことのない製法で、かなり時間のかかる手仕事のものだとわかった。全部で6つあって、どれも違う大きさと色柄だ。
眼鏡をかけた店主に声をかけると、それらは天然葦で編む伝統工芸で、彼の愛するジルベルトおじさんが作ったそう。ジルベルトおじさんは今年84歳で、生涯に渡って手提げ籠を編み続けてきた職人なんだとか。ああ、私は職人という言葉に弱い。柔らかい笑顔と説明に大いに説得されるうち、レコード盤がちょうど入りそうなサイズの無地のものを選んだ。精巧で頑丈な作りに関心しながら、太い葦の茎を曲げて編むジルベルトおじさんのがっちりした手を想像していた。

お買い物の最後はエプロン。
ある日の遅い午後、食べそびれた昼食をとろうと、宿からそう遠くない質素な食堂へ入った。注文した皿を運んできた若い女性は気さくで、朗らかに話しながらタラのグリルやポートワインなどを持ってきてくれる。客はまばら。ウェイトレスは彼女ひとりらしい。
ふと彼女の後ろ姿に目をやると、見たことのない形のエプロンをつけていた。胸の前だけでなく背中側にもエプロンがある。どうやら身体の前と後ろに同じ形の布があって、両方を脇の下にある紐で結んでいる。着るときはまず頭からかぶるのだろう。そんな形ならば、客が食べ終わった小鍋を抱えても、オリーブオイルのこぼれたテーブルにもたれても、彼女の白いTシャツは汚れずにすみそうだ。そういえば、イタリアのアレッツオという街の食堂の女将さんが変わったエプロンをつけていたこともあった。そちらは反対に下腹を隠すのがぎりぎりという小ささで、純白の細いレースで編まれた繊細なものだった。

話をポルトガルに戻そう。
帰り際、支払いの世話をやいてくれている彼女に「そのエプロン、面白い形ね」と声をかけてみると、ウケたように笑って教えてくれた。「ここではこうなの、近くにあるママの行きつけのお店にはもっと色んな色があるのよ、ちょっと待っててね」と店の奥に行ってしまった。母と娘が一緒に働いている、家族経営の店だったとわかった。
店の奥といってもすぐそこで、彼女のママは目の前の机ほどあるグリル台を覗き込むようにして何かを焼いていた。やはり魚だろうか。魚群から目をそらすことなく、口元だけで娘と会話している。よく見るとママの後ろにも同じようにグリル台があって、ふたつのグリルの隙間にママが立っている格好だ。1日にどれくらいの魚を焼くのだろう。
ママももちろん娘と同じ形のエプロンを着けていた。けれどママの方は前にも後ろにも、焦げた魚が貼りついたようにひどく汚れていた。

翌日、娘とママに教えられた店を探すと、泊まってる宿から5分とかからずにみつかった。開け放たれた狭い入り口の中には、古びた店内の壁いっぱいに色とりどりのエプロンが陳列され、ふわふわ風に揺れている。どれもすぐ向こうにアフリカ大陸を望む温暖な気候に似つかわしい軽い布だった。私は魚を焼くママの真剣な横顔を思い出してから、緑色の1枚を選んだ。

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