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7月のこと


人生ってなかなか終わってくれない。
「全部終わったら岩盤浴行って遠くの水族館行ってデパコス買いに行こう🎶」と思ったけど私の思う全部終わったらはいつのことだろう。就職が決まったら?実験が、ボランティア参加が、それらを含めた7月の予定が全部済んだら?今ある楽しみなことが全部過ぎ去ったら?もうすぐ働き始めて3年になるバイトを卒業したら?でもその間もその後も何かが始まって何かが迫ってきて過ぎ去って終わる。人生ってなかなか終わらない。生活という現実はひたすら続く。ひとまず目下の終わったら、は就活であろう。

と、7月中旬の私は言う。

体が疲れきっていてヤバい便が止まらない。心の安寧を保つために腸が情緒不安定やってくれてて困るんだか助かるんだか。7月のやるべきことはとりあえず明日であらかた片付く。そして仮に就活が片付いたとしても今度は図書館に缶詰になって大学を修了させねばならない。しかしまあ、われながらよくやるものだ。

と、7月下旬の私は言う。


そんな7月が今日終わる。
就活は、高校受験にも大学受験にも似ていた。本腰を入れるまではなんでこんなことしなきゃいけないんだーやりたくないー一生ダラダラ生きてたいーと思ったものだけど、ひとたび真剣になれば、案外楽しいものである。基本的に調べる、知るという事自体に対して凝り性なので、高校受験では神奈川県中の高校に詳しくなったし、大学受験では自分について詳しくなった。辛くても、向き合うべきことがあるということは楽しいことだと思う。それももう少しで終わる。就活が終わったら今度は学校のターン。ひたすら勉強と、貯金の日々。
ひとまず就活終了の目処がたってきたので、終わったら、ピクミンをやろう。

忙しくて遊ぶ時間は取れなかったけれど、その代わりにコンサートに沢山行けた月ではあった。
イコラブのスペシャルイベント、HiHiJetsのBooooost、そしてイコノイジョイフェス。推しから貰うエネルギーの偉大さとそこから得る全ての感性が、私を活かしていることをただただ思い知る。
HiHiJetsはあんまりいい席ではなかったけど、ふたつとなりの席にいた子が、目の前で起きているステージに全力でリアクションする爽やかでエネルギッシュで私より2.3歳、もしかするとそれよりも少し若いオタクで、その姿に、これまで一緒にコンサートに入って大騒ぎした友人たちに思いを馳せたりもした。そのうえHiHiJetは恋祭り、真夏の脱獄者、おいで!sunshineなどの自分の10代にとってとても大切な曲をいくつも歌ってくれたので、失われた青春と、失われた4人時代のNEWSが少しずつ過去になってきていることを実感した。最近は3人になったNEWSのことも、時たま見るようになったし、今年はNEWSのコンサートにいけたらいいなと思う。
アイドルを応援していなければ経験しなかった気持ちや悲しいことや辛いことや憤りが時たま訪れてしまうけど、私はまだまだアイドルを信じて生きていきたい。

遊ぶ時間が取れない代わりに休みの日はなるべく家族と過ごした。友達は前もって約束しないと会えないけれど、家族はいつもそこにいて、いつでも会ってくれるし遊んでくれる。「君たちはどう生きるか」を、1度目の鑑賞は彼と行った。疲労が限界で、私の集中力は2時間きっかりで切れ、最後の15分爆睡した。1週間後に母と再挑戦した。なんで2100円払ってこれを見逃したのかと自分が激しく情けなくなった。
父とはタイミングが合わなくてなかなか顔も合わせられなかったけど、最後の方に1度会えたし、姉ともご飯に行った。来月はじいさんとばあさんにも会いたい。

友達に会う予定が少ないと、楽だなあ、お金が手元に残るなあ、と正直に思う気持ちと、おしゃれする機会が減るし、関わりが少し減って寂しい気持ちも確かにある。娯楽と日常のバランスって難しい。そんなに友達がいるのなんて本当にここ数年の話だから、まだまだ1人も楽しいけれど。ただ、最近は特に「わざわざ一人でいる時間を作らなくても平気」になってきたなと感じる。
集団生活は苦手だけど、我慢して黙っている程度のことはできる。だから学生生活はストレスの連続だった。自他の境界が曖昧、というデカい欠陥を抱えているので、いつも過剰に「自分がどう接して欲しいか」「なぜそんなことをするのか」を考えて行動してしまう。そうなると、初対面の人間に対して、他人にできるMAXの愛想をやってしまう。私がそれを人にされたらその人を好きになるだろうと思っているからだ。相手を過度に持ち上げたりせずにフラットに出会ってくれる人がいると、かっこい〜うらやまし〜と思ってしまう。多少、無愛想にすることもできるけど、最初から敵意丸出しで言ってあとからその人の人となりを知ったり、そんな態度をとった自分自身を後悔することも沢山あったし、ちょうどいいチューニングを、まだ探している途中だ。

そんな7月最終日は、仕事のまえに本屋によって本を3冊買った。忙しくて読書を楽しむ間もない7月だけど、そのおかげでむしろ読書をしたい気持ちがゆったりと醸成されていった。仕事のあとに仕事でできた友達と少しご飯を食べてその子に付き合って久しぶりにラブホに泊まることになった。1人で風呂に入り、うとうとしながら携帯を触っていると、あっという間に1時半になっていた。ラブホテルの部屋は閉鎖的で、時間の流れが分からなかった。住み慣れた部屋の景色を思うと、時計を見なくても、時間の流れというものが色濃くたちこめているものなのだなと思った。家にいてあまり、わ、もうこんな時間。と思うことはあまりないからだ。
大学4年の夏くらいから、本当に時の流れが早く感じて、それまでに大人たちがいってきたことが真実味を帯びてきた。悲しくもある。子供の頃永遠のように感じたひとりぼっちで過ごした時間の感じ方と、今の周りに人が沢山いて恵まれていることを噛み締めることの出来る今の自分の時間の感じ方を取り替えてやりたい。

押し寄せる時の濁流の中で、24回目の夏を迎え、私はまた1つ歳を取ろうとしている。
7月が終わっても人生は終わらない。
うんざりするような現実にうんざりしながらも立ち向かっていける間はまだ自分のことを嫌いにならずにいれそうだ。

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