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成人の日、各々の、その時を振り返る

今日は成人の日。

新成人が煌びやかな姿で闊歩する姿が、街を華やかに彩る1日。

ここ数年、コロナ禍で成人式が中止になるニュースを聞くと、心が痛む。1度しか無い機会なので、本人に興味があろうと無かろうと、奪われて良いものでは無いと思う。早く、日常が戻りますように。


自分が初めて成人式という日を認識したときのことを、何故かよく覚えている。

それはたしか、小5か小6の時、当時やっていたミニバスケットの試合の会場。近くで成人式をやっていたのか振袖の綺麗なお姉さんが沢山いて、眩しかった。そんな記憶。

そのときは知らなかったけど、のちのち思い返すと、あれは確かに成人式だった。そんな思い出。


今日はツイッターのタイムラインに、大人たちが各々の新成人時代の思い出を語っていて興味深かった。

多くは、決して楽しいばかりとはいえない、キラキラしたとは程遠い思い出で、20歳前後を生きることの過酷さについて考えさせられる。

とにかく、あの頃は、先が見えない。自分もかなりそうだったと思う。

そのくせ、20歳前後の子らに会うと、平気で「若くて楽しい盛りでしょ〜」とのたまう身勝手さ。自分はこんなこと言う大人になるまいと誓いたい。だが、日々ふてぶてしくなり続ける精神が、そんな大人に近づけてしまうこともわかる。悲しい性です。


自分自身の成人式前後の思い出を振り返ると、やはり例に漏れず苦しい日々だった。

ちょうど成人式の少し前に精神病が当時最大レベルで悪化し、東京で一人暮らしができなくなって実家に人知れず戻ってきていた。一日の大半を布団の中で泣いて過ごしていたことを、書いていたら思い出してきた。大学生だったので、英語の講師がわざわざ「あと一回休んだら、落単ですよ」とメールをくださったことも思い出した。単位はもちろん落とした。

帰れるかどうかも不安だった。大学を続けられるのかどうかも。先はもちろん、真っ暗だったはずだ。

それでも成人式は、親戚からお借りした立派な亀の子模様の振袖を着て、出席した。集団に混ざれば、わたしもキラキラした人の一人に見えたと思う。

当時ほぼ寝たきり状態で、精神的には未熟も未熟でいいところの、形だけの成人式だった。


あれから10年。

大学は留年を重ねたけれどなんとか卒業し、ニート期間を経て就職。いろんな人の支えがあって、精神病も寛解した。

ここ1、2年でやっと、人生を漕ぎ出すスタート地点に立てたような感覚がある。

真っ暗だったトンネルを一つ抜け、線路が足下に存在することを知った。それは、両親を始め周りの人たちがわたしのために作ってくれた道。

続きはもちろん、これから自分らで作る道。

30歳。年齢的にはいい大人かもしれないけれど、自分はやっと最近、大人に少し近づけたかな、くらいの気持ち。

誰もが自分のペースで、大人になれればいいと思う。


それはそれとて、見ている方はいないと思いますが。。新成人の皆様、そしてその親御さん、おめでとうございます。

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