大谷翔平と、普通ということについて

テレビで大谷翔平さんの特集を観た。

岩手県で中高を過ごした自分にとって、同じ故郷から世界で大活躍するメジャーリーガーが生まれたことを、勝手に誇りに思ってしまう。水沢にしろ花巻にしろ、一度か二度しか行ったことなくて、実際のところ全然関わりは無いのだけれど。

大谷さんは普通ではない。それは当然だ。世界の大スターなのだから。でも一番普通ではないところ、それはどんな状況であっても「普通に過ごしている」ことなのではないか、テレビを観ていてそんな印象を受けた。

そもそも、二刀流ってなんだ。そんなの漫画の世界でしか聞いたことない。でも、大谷さんにかかれば、普通に見えてきてしまうから恐ろしい。

なぜ普通に見えるのか。おそらく大谷さんにとって地元のリトルリーグからメジャーまで地続きの道をまっすぐ歩いてきている感覚なのだと思う。もちろん、彼一人でメジャーまで来ることはできないのだけど、進むにあたって、彼自身も道を敷いて舗装する作業をきちんとこなしていて、その点に自覚的なのだ。その主体性は、肌感として比較的若い世代に顕著にあるような気がする。

わたしのような凡人は、普通でない環境に置かれたら、普通の心境でいられないことは容易に想像できる。さらに少しチヤホヤでもされたら天才かと錯覚してしまうだろう。

大谷さんはその点極めて冷静だ。調子が良かろうと悪かろうと、きちんと周りと自分を見つめ、判断できるらしい。そしてどうやら、判断を他人に任せず自分で責任を持っているようだ。

もちろん、大谷さんには類まれな才能があり、体格に恵まれている点は言うまでもない。大谷翔平の真似をすれば誰でもメジャーリーガーになれるなんてそんなことは有り得ないのだけれど、でも、見習うべき点は多くあるような気がする。

地続きの道のりにメジャーがある人は極めて稀であろうけれども、我々誰もが歩く道の先に、それぞれ何かがある。その景色はその道を歩き切った自分にしか見えないけれど、なにかを目指して舗装していく作業を続けることで、望んだ景色を目指すことはできる。

不可能が可能になり、やがて普通になる。

オオタニサンは、この先も不可能を普通に変えていくのだろう。

彼の快進撃を見守りながら、彼のように、毎日驕らず、謙虚に、やるべきことをひとつずつ、何があっても前向きに人生を舗装していこうと思う。そんなことを考える2021年の年末です。


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