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「苦手なんてものはない?」
「ピーマンが苦手だ」
「ネギが苦手だ」
「あの人が苦手だ」
と言ってもワタシの中に「苦手」などという生ぬるい感情はほとんどない。嫌いだ。
ピーマンもネギもあの人も、心から嫌い。
嫌うことにエネルギーを注ぐのをいとわない。
物理的にワタシの生活圏に入れない。
ほとんどないから少しはある。
「スペイン語」は苦手だ。得意になる前に講師に死なれたから。スペイン語と聞くだけでもの悲しい。
「ふんわり握ったおむすび」が苦手だ。ギュッとした方が好きだから。食べているうちに崩れてくるし。でもワタシの手の届くところに置いておくことは可能だ。
「苦手」という言葉は、だいぶ大人になってから覚えた。それまでは嫌いなものはすべて嫌いだった。今でも九割方人に聞こえが良いように「嫌い」と置き換えて使っているところがある。
でもそうしているうちに、「苦手」なものがなんであるかが少しわかってきた。「苦手」という単語を与えられ、はじめてその概念を知るようになった。遅く知ったこの単語、残りの人生でどれだけ「嫌い」と拮抗させ活用できるだろうか。期待せず自分を見守っていこうと思う。
ジェネラル・アース