見出し画像

「始めあれば終わりあり」

 情報を集める→日程を調整する→チケットを買う→当日会場まで行く。イベントなどに参加するときの手順だ。人によっては煩雑に感じられることだろう。ワタシはその一人で、この作業が滅茶苦茶嫌いだ。だが推しの催し物には逃さず行きたい。

 たとえば落語会。会場に着く、開演を待つ。さて開演。前座の開口一番は決まった演目が多い。おそらく落語の基礎みたいな演目なのだろう。それが終わるとお目当ての噺家の登場だ。だいたい演目を二つやると休憩となる。ワタシとしてはこの休憩は要らないが、ないと噺家さんが死んでしまうかもしれないので我慢する。休憩を挟んだ三つ目の演目でお開きがほとんどだ。

 さて、この二演め頃から時間が気になる。もううちに帰りたたい。腕時計を噺家に見られないようチラチラ覗くようになる。初めて聴く演目以外はだいたいの長さを知っているので始まった瞬間それが長いか短いかわかる。うちに帰りたいのに長い演目だった時のガッカリ感と言ったらない。語弊があるとは思うが、ワタシはそのガッカリを伴う落語を自ら望んで聴きに行っているのだ。

 たとえば、その長い演目が一番めに来たら余裕を持って愉しめる。二番めはちょっと微妙だ。二番の演目と三番の演目が長かったらもう帰ってしまおうかなとさえ思えてくる。が、基本落語は面白いのでそんなもったいないことはしない。

 ちなみに、音楽ライブの最後の「アンコール」という茶番はいつまでやり続けるのだろうか。どうせやるのに一度引っ込む意味が分からない。時間の無駄だからその曲込みでさっと終わらせてほしい。落語にアンコールはない、ちなみに。

 会が終了すると一目散に家路につく。エレベーターに加え階段があるときは混雑を避けるため階段で外に出る。こんなに家に帰りたかったのにもかかわらず心のエンタメメーターは満タンだ。満足満足。中川家の剛さんが言っていたが、どんなコンサートでも1時間半過ぎると皆時計を見だすそうだ。それを以てワタシは皆が皆公演中も家に帰りたいのだという結論に達している。

いいなと思ったら応援しよう!