第一回 大震災とともにはじまった
TENTOは仕事ではなかった
TENTOがかたちづくられたのは2010年、暮れもおしせまったころでした。そのときにはまだTENTOという名はなく、ただ「子ども向けプログラミングスクールをやろう!」というアイデアがあったのみです。TENTOという名が決まったのは、明けて2011年になってからのことでした。
メンバーは二人。前代表である草野と、現代表の竹林です。
「理想のため、二人の男が立ち上がった!」と語れればカッコいいのですが、現実はそんな甘いものではありませんでした。ああしようこうしようと考えを述べあっているうちは楽しくもありますが、いざ実現しようという段になると、二人の青二才にはどうしていいかわからなかったのです。
当時、草野も竹林も別に仕事を持っていました。草野はとある出版社で編集の仕事をしていましたし、竹林はフリーのエンジニアをやっていました。
もし収益があるものを仕事と呼ぶのなら、当時のTENTOはまったく仕事になっていませんでした。遊びだと言われればただ首肯するほかありません。
もっとも、どんな遊びもそうですが、熱を入れてやればやるほどおもしろいものです。二人とも子ども向けプログラミングスクールの構想とTENTOの立ち上げにはずいぶん熱中していました。
いちばん最初にやったのは、TENTOのロゴをつくることと、それを装飾するマスコットキャラ、テントくんをつくることでした。出版界に明るい草野には、ロゴをデザインできるデザイナーと、イラストレーターの知己があったのです。むろん、お友達価格でやってもらいました。
ロゴとキャラはできた。あとはお客を集めるのみだ。慣れない手つきでビラのデザインをして(これは人を頼めないので自分でやりました)、印刷し、ビラをつくりました。
ビラには、3月20日に無料の体験講座を開催します」と印字されてありました。
効率度外視、泥臭い宣伝
ビラはつくったものの、それを配布する術はありません。二人とも体験会を告知する方策を持たなかったのです。
そんなのタウン誌に載せればいいじゃん、喫茶店とかスーパーにビラ置いてもらえばいいじゃん、というのは元手なしで商売を起こしたことのない人の考えです。
ウェブページをつくってSNSでバズれば、という意見もあるでしょう。やってみればわかりますがそれは今でも容易なことではありません。まして、当時のSNSは今よりずっと規模が小さく、知る人ぞ知るものでした。時代背景を知ってもらうためにあえて述べるなら、iモード(ドコモのケータイでさかんだった簡易ウェブページ)で告知しようというのが懸案になったこともありました。
すでに、おこづかいと呼ぶのははばかられるほどの額を投資していました。プログラミングスクールの体験会をやるのですから、どうしたって人数分のパソコンは必要になります。また、会場だって用意しなければなりません。どちらもそれなりの出費が要求されます。
広告宣伝費を削るのは、新しく事業にあたってもっともよくない方法だといわれます。
……そんなことはわかってるよ。でも出せないんだからしょうがないじゃないか。
二人がそう思ったかどうかはわかりませんが、その後の行動はたいへん原始的でした。
サラリーマンの帰宅時間にベッドタウンの駅前に出かけていって、帰宅する人に無差別にビラを配るのです。「TENTOでーす」「体験会やりまーす」と言いながら。
プログラミングスクールの体験会のビラを、駅で配る? なんて効率の悪い、泥臭いやり方だろう!
しかし、ほかに方法はありませんでした。
体験会は2011年3月20日に予定されていました。あっ、と気づく人もあることでしょう。
東日本大震災が起こるのは、11日のことです。東北の被害があまりに甚大だったため、そこがピックアップされがちですが、東京を中心とした関東一円も無傷ではありませんでした。震度6を記録したところもあったのです。21世紀に入ってから、東京がこれほど大きな揺れを経験したことはありません。
大地震を経て、体験会の内容も大きく変わっていきました。
日本初の子ども向けプログラミングスクールは、未曾有の大震災とともにはじまったのです。