子どもがゲームばかりして学校の宿題をやろうとしません。どうすればいいでしょうか。
ゲームしている子とブロックで遊んでいる子
個人的には、世間で言われているほどゲームが教育的にマイナスだとは思っていません。ゲームは抽象そのものなので、ゲームができているということは抽象思考ができているということです。
また、いきなりレベル100からはじまるゲームはなく、たいがいはレベル1からはじまります。つまり、成長することを前提としているわけです。成長のために努力することの大切さを学べるわけですから、それが悪いものであるとは思えません。
とはいえ、どんなものでもやりすぎはよくないとされています。宿題をおざなりしてゲームだけをえんえんとやり続けるさまを見て、親御さんが心配されるのもよくわかります。
ゲームがよくないと言われる大きな要因のひとつは、何をしているかわからないことです。
たとえば、子どもがレゴブロックの組み立てに熱中していても、親はあまり心配しません。何をしているか見えるからです。対してゲームは、レゴと同じようにひとりで熱中する遊びであるはずなのに、心配の度合いは大きくなります。テレビゲームならまだしも、ノートPCを使ってやるパソコンゲームやスマホゲームになると、部外者にはほとんど見えないからです。
shared attentionという考え方
心理学にshared attentionという言葉があります。コミュニケーションにおいてとても重要なこととされています。
誰かといっしょにいるとき、人は相手の挙動を見ることができます。相手が何かに興味を示してじっと凝視するようなことがあれば、その様子がわかります。何に興味を持ったかはわからなくても、何が気になったのと問うことは可能です。
ゲームに熱中する子にたいしては、それを共有するようにしてはいかがでしょうか。子どもに考えをshareしてもらう、話してもらうのです。
たとえばマインクラフトなら、
「これつくるのに何時間かかったの」
と問うてみます。もし四時間かかったという答えが返ってきたなら、プレイ時間を二時間にして二日にわけ、宿題をしてみたらどうだろうと提案してみます。
頭ごなしに「ゲームなんかやめて宿題やりなさい!」と言うより、言われたほうも納得しやすいでしょう。
また、これには大きな教育的効果があります。
自分がしていることをしていない人に伝えることは、決してたやすいことではありません。系統だて、整理して伝えなければ、相手には理解してもらえないからです。これは論理的思考を養うことにつながります。
やりたいことが異なる人間がふたりいるとき、それぞれの意見を出して調整する。
じつはとても当たり前なプロセスなのですが、親子間では省かれてしまうことも多いようです。なにかを言語化して、共有することは、とても大切なことです。
(TENTO代表 竹林暁)