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マインクラフト・ウィザード、藤本ぬどん先生
日本にマイクラを広めた男
マインクラフトはすでに十年以上の歴史をもつゲームであり、熱中している人も多いことでしょう。また、「ウチの子はマイクラばっかりやってて、ちっとも勉強しない」と眉をひそめる保護者の方も多いにちがいありません。
そのへんの事情について、TENTO代表・竹林が、「マイクラのよいところ」を語っています。
藤本ぬどん先生は、マインクラフトのアルファ版がリリースされたとき、つまりそのおもしろさを知る人がほとんどなかったころから、マイクラの実況動画を公開していました。
マイクラ界隈では伝説の人と呼んでも、決して言い過ぎにはならないでしょう。先生の伝説の一端については、下の記事など幾多のメディアで紹介されています。
まずはぬどん先生に、「マイクラに出会う前」について語っていただきました。
はじめてパソコンにふれたときのことについて教えてください。
「はじめはMSXでした。僕は『MSX世代』と呼ばれる人たちよりずいぶん下の世代なんですが、友達の家にMSXがあって、それをいじったのが最初です。BASICを覚えて、カーソルを動かしたりして遊んでいました。友達とスーパーファミコンやるみたいな感覚です。『これ、自分でゲームがつくれるぞ』って。新鮮でしたねえ。小学生のころだと思います」
MSXは家にあったわけではないんですね。
「友達のものです。パソコンを動かしたのは、中学に入ってからだと思います。MSXである程度BASICを知っていましたから、学校のパソコンも動かすことができたんです。Windowsができるずっと前でした」
「それからメモリがどうとかデータ量がどうとか、かっこいい言い方をすればコンピュータ・サイエンスみたいなことをすこしかじりました。マインクラフトに出会ったのはその後ですね」
「マイクラには当初、3Dブロックを組み立ててなにかをつくる『クリエイティブモード』しかありませんでした。それはあまり興味を持たなかったんです。おもしろいなと思ったのは、アルファ版がリリースされて、『サバイバルモード』が追加されたときです。モンスターが襲ってきて、ホラーゲームみたいな楽しみ方ができました。モンスターを避けるためには家をつくらなければならなくて、サバイバルがクリエイティブにつながるところもとてもおもしろいと思いました」
「その実況動画みたいなものをニコニコ動画にあげていたら、まだ誰もやってる人がいなかったせいも大きいんでしょうけど、すごく再生数が伸びたんです。イベントがあるたびに呼ばれるようになりました。そのころはニコニコ動画(ドワンゴ)に入り浸っていましたね」
「TENTOに出会ったのもそのころです。マイクラの先生みたいなことをやるようになりました」
「マイクラの先生」の苦悩
はじめてTENTOを見たとき、どう感じましたか。
「先生が教壇に立っていて、生徒がそれを座って聞いている、という学校スタイルではないことが新鮮でした。先生が生徒に寄り添って、生徒がやりたいことを手伝うみたいなかたちです。それはすごくいいんだけど、ときどき『あれ?』って思うんですよ」
「僕のところはとくにそうだと思うんですが、マイクラをやりたい子が集まってくるんです。気づくと、子どもたちがみんなマイクラで遊んでいる(笑)。果たしてこれでいいのかな、と思うんです。生徒たちは、そして親御さんはこれで納得してるのだろうか。とても心配です」
ぬどん先生の名誉のために付け加えておけば、世にある「子ども向けプログラミングスクール」は、マイクラを扱っているところがすごく多いです。
ぬどん先生のマイクラ談義は、次回に続きます。
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