「母の友」の全ての母の友感
日曜日。宮崎の街なかで、ピクニートというイベントがあった。ご飯屋さん、古着屋さん、古本屋さんにブリトー屋さんなどなど、近くのお店が集まってのんびりと出店している。
娘と散歩がてら向かい、出店していた古本屋さんを覗き込んだ。今回は絵本がいっぱい!
その中で、絵本を3冊と「母の友」の古本を2冊買った。母の友、存在は知っていたのにちゃんと読んだ事がなかった。
たぶん、昭和から続くこの本は、私のような、あんまり正しく無い母(=家のことに熱心でない、仕事のために家事の手を抜こうとするタイプ)が読むと、凹むんじゃないか、なんて先入観からだった。
だけど100%ORANGEのイラストに惹かれてパラパラとめくると、つい先日読んだ短歌の本で知った、歌人の東直子さんが寄稿してるではないか。おっ、と思ってページをめくると「ぼくたちはどう生きるか」の森田真生さんも、東大の祝辞で話題になった上野千鶴子さんも。えーっ!と思わず声を上げて、見出しに惹かれた2冊を購入した。
青表紙「子どもと私たちの未来のために『母』を考える」(2020年1月)
赤表紙「不安とむきあう」(2020年9月)
帰宅して早速「母を考える」特集を読む。
涙が出るほど味方の本だった。寄稿しているたくさんの、作家であり母である人々の声が、自分と重なり、自分がモヤモヤとお腹の中で考えて声に出す事ができずにいた、願いや苦しみや喜びが全部書かれていた。
そんな、母の友800号記念の特集ページの文章。本当に母たちの友だちだった。例えば
この通りだった。仕事は私にとって好きな事であり、それを優先するのはエゴだと思っていた。
毎日のご飯や、入園入学の布グッズなど、自分が作ってあげなきゃ、というプレッシャーは大きかった。(過去形なのは開き直ったから)
でも、料理も裁縫も、簡単に習得できるものではない。女だから、母だからできるわけではない。相応の、仕事と同じくらいの労力と練習の上でやっと完成する。
社会から与えられる性別的役割(ジェンダー)は、やりたい仕事や夢があり、そこに向かって走っている途中で、母になった瞬間に如実に壁となって突きつけられた。
私の場合は、子どもが幼い頃一度離婚をしている。実はジェンダーと、この離婚は大きく根っこで関わっていて、いつかちゃんと文章にしたいと思っている。
母の友の、予想以上の母の友感。
こころの拠り所になりそうです。