第四回:3C政策と3B政策どっちが先?第二次産業革命と大不況との関係は?東大世界史1996年第一問・後編【敬天塾世界史】
こんにちは!敬天塾スタッフXです!
この記事は、弊塾の世界史授業・第三回で取り扱った、1996年世界史第一問の大論述の解き方・考え方についてまとめた記事の後半部分です!
前半の記事はこちら
まずは問題を振り返ってみましょう。
・1996年世界史 第一問
18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、世界全体に工業社会の到来をもたらし、現代世界の形成に大きな役割を果たした。そのさい、人々はイギリスの覇権を「パクス=ローマーナ」(ローマの平和)になぞらえて「パクス=ブリタニカ」と呼んだ。しかし、「パクス=ブリタニカ」の展開には、さまざまな地域において、これに対抗する多様な動きが伴った。現代世界はこのような対抗関係を重ねるなかで形作られたとも言えよう。そこで、19世紀中ごろから20世紀50年代までの「パクス=ブリタニカ」の展開と衰退の歴史について、下に示した語句を一度は用いて、解答(イ)に15行(1行30字)以内(450字)で述べよ。なお、使用した語句に必ず下線を付せ。
【指定語句】
自由貿易 南京条約 アラービー=パシャ 3C政策 マハトマ=ガンディー 宥和政策 マーシャル=プラン スエズ運河国有化
前回の記事では、「パクス=ブリタニカ」の時代のイギリスがどのような状態であったのかを解説しました。
今回は、実際に弊塾の塾生が書いた答案に対し、どのような良かった点や改善すべき点があったのかを見ていきましょう!
3B政策と3C政策、どっちが先??
今回の授業で最初に出てきた答案は、パクス=ブリタニカが展開していくストーリーをうまく説明できており、高評価でした。
ただ、因果関係の理解が間違っている部分がありました!
それは、
「イギリスは3C政策でドイツの3B政策に対抗した。」
という部分です。
パッと読んだ感じ、「別に普通じゃない?」と思ったあなた、要注意です。
3C政策は、3B政策に対抗して展開されたものではありません!
むしろ逆で、3B政策が3C政策に対抗して展開されたものなのです。
指定語句の「3C政策」を見た途端、反射的に3B政策のことを連想した人も多いと思います。ですが、この二つの政策の因果関係を正しく説明できますか?
3C政策は3B政策に対抗したものだ、と認識している人は、おそらく下のような捉え方をしているのではないでしょうか?
「3Cといえばカイロ、ケープタウン、カルカッタ。
ケープタウンは南アフリカにあるので、イギリスは南アフリカ戦争(1899-1902)で獲得したのではないか…?
だから3C政策は20世紀初頭ごろのものだ!
ということは、ヴィルヘルム2世が即位した時よりも後の時代だから、3C政策は3B政策に対抗したものなんだ!」
さあ、どこが違うか分かりますか?
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