ぐちゃぐちゃに入り組んだ問題を束ねている「核の問題」をどう見つけるか
2020年4月、組織内のごちゃごちゃに絡み合った問題で頭を悩ませ、ただ漠然と問題意識だけを持っていたときに、当時アドバイザーだった人に言われた一言、「仮説を立てるに値する、本質的な問題を発見しなさい」と。
組織全体を見渡したとき、要解決な問題は山ほどある。それらはそれぞれが単体で存在するのではなく、相互に結びついている。因果関係で結ばれていることもあれば、単純な相関関係でしかない時もある。問題を整理しようと努力するが、「問題Bの原因は問題Aだ」という短いチェーン(問題B←問題A)だけがたくさん生まれ、そのチェーン同士をうまく繋げられないことが多い。また、チェーンを伸ばしていくと「社会が悪い」「日本の教育制度が悪い」「文化が悪い」など自身ではどうにも変えられないことに帰結されてしまい、思考停止になってしまうこともある。
要は、複数の問題の諸原因になっており、本当に解決が必要で、かつ自分たちでどうにかなる「核の問題」を発見するのがとても難しいのである。
私自身、現在代表を勤めている組織の存在を知り、分析を始めた2018年夏からずっと考えていたことである。「核の問題は何か」探そうとし、失敗し、混乱する、を繰り返していた。2019年、2020年と悩み、自分自身も成長する中でやっと2020年の11月あたりに、やっとそれを発見することができた。自分が忘れないうちに、どうやったか、言語化しておこうと思う。
「核の問題」は問題整理の中でどう見つかるか
相互に結びついた多くの問題を整理し、諸悪の根源である「核の問題」を炙り出す上で、結論から言えば以下の点を認識する必要があると思っている。今回の問題解決の例にのみ当てはまるのかもしれないが、参考にはなると思う。
1つめ(言語による具体化と、具体⇄抽象の調整)
「問題」は、それ自身が言語化される瞬間に具体化されてしまう。具体化された部分は問題の「1つの側面」にすぎない。必ず「問題」はそれ以外の複数の面を持った抽象的なものであり、問題整理をする上でその抽象度をキープする必要があること。
2つめ(問題チェーン)
手元にあるわかりやすい問題から原因を掘っていき(why? because?と繰り返し問う)、チェーン(問題E ← 問題D ← 問題C...:問題E because 問題D because 問題C)を伸ばして行ったとしても、その先で、全ての原因になる「核の問題」には辿り着かないということ。
3つめ(問題チャートの全貌と、チャート作り)
問題のチェーンは図(左)のような三角形状(核ー枝葉)ではなく、図(右)のような束状(枝葉ー核ー枝葉)に繋がっている。図2のチャートを作るためには、枝葉から作るのではなく、束をまとめている中心(要は「核」)から描かなければならない。
4つめ(核の発見と、直観の話)
束をまとめる中心(核)は理詰めで見つかるものではなく、全体を俯瞰し悩む中で「直観的に」見つかるものである。「もしかしてこれかも」という問題を中心にチャートを作ってみて、試行錯誤する。束ね方は複数あり、もっとも多く束ねられるものが「核」である。
1つめ(言語による具体化と、具体⇄抽象の調整)
頭の中でモヤモヤしている1つの問題を言語化してみたら、案外あっさり書けてしまった。だが「本当に主語はこれだけだろうか」「前提はこれだけか」など、言語化から抜け落ちた部分を考え出すとキリがなくなってフリーズすることがある。頭の中ではなんとなく繋がっているのだが、文字に起こすと太めの繋がりは明確になる一方、うっすらとした繋がりは文章の骨格(SVO)にうまく当てはめられず消えてしまう。なぜそうなるのか。それは言語化自体が私たちが当たり前に行っている具体化であり、言語化する段階で抽象度が下がるからである。
つまり問題を整理する上で、問題の「抽象度」をキープするのが大変なのであって、それが重要なのである。これは問題整理云々の前に、通常の思考における「具体⇄抽象」トレーニングによって鍛えられるものである。
2つめ(問題チェーン)
問題は、別な問題によって引き起こされていることが多く、適切にチェーンをつないでいくのはとても重要である。基本的に「なぜ(why)?どうして(because)?」と問いかけて行けばいい。例えばこんな感じ。
朝起きれない ← 寝るのが遅かった ← ビールを飲んでしまった ← 夜の勉強時間(1.5H)にうまくインできなかった ← 落ち着いた時点でかなり遅かった ← 夕食後にお風呂に入っていた ← お風呂を夕食後に後回しにした ← 18:00に帰宅したのち、ベッドでYoutubeを見てしまった
これが「チェーン」であり、今は一本だが、分岐などを含め枝状になると「チャート」になる。このように分析してみると思いも寄らないところに原因があるのがわかる。上の例で言えば「朝起きれない」の原因は「寝るのが遅い」でも「ビールを飲んでしまった」でもない。原因は帰宅した瞬間にあって、「ゴロっとYoutubeを見てしまった」ことにあったのだ。つまり解決策は「早く寝る」ことでも「禁酒する」ことでもなく、「帰宅したらすぐお風呂に入る」なのである。
これは簡単な例であるが、実際はチェーンの分岐と結合、さらに抽象度のコントロールがあり、こんな容易いものではない。チェーンを伸ばしていくなかで常に抽象度がずれていくし、行き詰まることも多々ある。そもそも上記の例は「時間軸」という超お助けキャラがいるから簡単なだけで、実際は軸すら自身の力で見つけなければならない。
3つめ(問題チャートの全貌と、チャート作り)
上の2つめの例で「あれもっとチェーンは伸ばさないの?」と思うかもしれない。だが、チェーンはわざとここでストップしている。なぜならこれより掘り下げると自身ではどうにも変えられない問題へと突入する可能性があるからである。「大学の授業があるから」などの原因は、自身ではどうにもできない。「複数の問題の諸原因になっており、本当に解決が必要で、かつ自分たちでどうにかなる問題」が「核」であり、必ずしもチェーンの先端にあるわけではないのである。
では、めちゃくちゃに入り組んだ問題を整理し、チャートに落としこむにはどうするのか。抽象度をコントロールしながら、解決が不能な領域をうまく避け、チェーンの繋がりを意識しながら、全貌を描くにはどうするのか。「無理だよ」と感じるかもしれないが、実は「核」から描くのである。つまり、上記の例であれば、「もしかして、帰宅後に風呂にすぐ入らないのが原因じゃね?」と直観的に見つけ、そこからチェーンを伸ばすのである。
「結果から原因を探す」よりも「原因から結果を探す」方が人間は楽に感じるようである。なぜなら前者は「具体から抽象」に向かうのに対し、後者は「抽象から具体」に向かうからである。抽象化よりも具体化の方が簡単なのである。チャート作りも同じで、末端から「なぜこうだろう、なぜこうだろう」と抽象化方向(原因方向)に進んでいくよりも、「多分これじゃね?」という問題Aを皮切りに「だからこうなんだ、だからこうなんだ」と具体化方向(結果方向)に進めていくほうがスイスイ描ける。また問題Aに軸足を置くことで、それより上(抽象化方向)も案外描くことができる。このように、抽象化方向と具体化方向に「核」からチェーンを伸ばしていくため、全体のチャートは「束状」になる。
4つめ(核の発見と、直観の話)
では、その「核」をどうやって見つけるのか、が最後の論点になる。完全に個人的な考えではあるが、「核」は理詰めでは発見できないと考える。特にこの時代、さまざまな問題を生み出している原因は思いも寄らないものだったりすることが多い。単純に理詰めで帰納的に分析していっても見つからないのである。
「直観」だと思う。多くの問題をぐちゃぐちゃな状態で俯瞰する。何が原因かわからない状態で思い悩むなかで、「核の問題」は寝起きや風呂に入ってる時などにふと思いつくものだと思う。そして、もしかして?と思いながらチャートを描いてみて、うまくいったりする。「核」からチャートを描いていくのはそこまで大変ではないため、一旦見つければ多少の試行錯誤ができる。そんなことを通して、あーでもない、こーでもないと悩んでいるうちに突然に見つかるものだと思う。
「美意識」に近いと思う。インテリア全体を見て、なんか違う、と悩む。色の配置や家具の選び方、黄金比などで考えてもうまく行かない。ある瞬間ふと「本棚と壁の間が近すぎないか?」と思い、ちょっとだけ移動してみたら一気に部屋全体にまとまりがつく。そんな感覚に近いと思う。
「美意識」や「直観」、論理的思考とかけ離れたように見えるものが現代のビジネスに生きる、ということが書かれた本を紹介して、話を終わらせようと思う。
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