
麻辣燙フレーバーの嗝氣
お元気ですか、私は元気です。(feat.中山美穂)
かろうじて元気です。麻辣燙の食い過ぎで胃腸が誤作動起こして麻辣燙フレーバーのゲップが止まりません。苦しい。麻辣燙を鍋で作った後、お茶淹れようと同じ鍋で湯を沸かすと麻辣燙風味の紅茶になってしまったのが悲しかったです。でもそのまま楽しみました♪はっぴー♪
最近人間に触れてない、マウスかiPadベタベタ触る日々。ヘッドフォンで五感のひとつを閉じた世界に押し込んで、podcastを垂れ流して言葉で頭占領させている。電子機器と髪の毛しか触ってないわ。毎朝8時半に会社に駆け込むと、蛍光灯が燦々と照っていてエネルギーが吸い取られる。多分蛍光灯の白い光が脳の従順な部分目覚めさせていて、後は何も考えられなくなる。華語で「頭が“起動“してない」って表現があるけど、朝8時半から脳みそが起動できるわけがない。デスクトップ起動させてニュースを盗み見るとスタバの新作とマックの新作のニュースが出てきて辟易とする。遠くで起きている殺戮が思い起こされて、やっと目が覚める。最悪。自分は何してるんだろうと思う。
Mな気質を自覚しているので、朝のラッシュで通勤のみんな♡と一斉に同速で団体行動するのとかちょっとワクワクする。集団に押し込められ個を優先されず、群れとして動くときの楽しさ。私はただ群の一部を構成する要素でしかなり得ないことに、自嘲気味にもならず純粋にちょっと興奮する。余裕があると、自分自身が会社の風景を彩る一部であることを俯瞰して密かにニヤニヤする。多分決まった行動を繰り返すほど逸脱した行為がギャップになってえっちなんじゃん??というよくわからない理論で自分を説得する。学生の頃は学校の仕組みに疑問を持って過ごしていた帰宅部だったから嫌なこと全てをサボっていたけれど、社会人になって性癖になったようだ。あーあ仕事辞めたい。
自分が自分でいっぱいになるのは疲れる。過去の日記を読み返すと、自分とおりすぎるのがだるいと書いてあった。中枢の私と隣り合って肉体を持つ私がいて、肉体付きの私はルーズですぐ疲れちゃう。肉体付きの私を調教するために日々粛々と取り扱いを協議している。成長しない赤ちゃんのようなもんで、一生赤ちゃんだから上手く手の上で転がさないと。
ナルシストに飽きたから、自分がなんてことない人間だと思って生きたいのかもしれない。それかラッシュを急ぐ社会人という役割がまだ新鮮なのかもしれない。自分が社会のどこかに位置することを探って確かめて楽しんでいる節もあるのかもしれない。占い然りmbti然り血液型占い然り、自分をある属性に当てはめる快感が気持ちいいんだろうね。特定の属性にいることで担保できる個性と役割が心地いいんでしょうね、きっと。個性的と呼ばれたい人がみんな似たような古着を着て個性を謳うような感じ。属性に当てはめると自分を消すことができるし属性を肩書きにもできる。ありがたい。四柱推命原理主義者の私としては人に個性なんかありません、哈哈哈。みんな多面的なので占いなんてそりゃなんとなく全部当てはまる気がするよ。
通勤途中の歩道の電柱に、「煩惱來自固執」と書かれたお札らしきものが貼られている。ぼうっと歩きながら、「煩惱來自執著」をちゃんと目に入れて、自分を戒める顔を決め込むのが最近のモーニングルーティーンだ。属性に居座ると落ち着くけど固執してしまうとまた余計なことを考え出す。人を型でしか見れなくなったり、自分の属性を守ろうと変なムーブしたりするな〜。なんでも中庸が大事ね。(feat.孔子)
信じたい自分を選択して思い込んでいこうね、大好きだよん。
おわり!