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日本の礼儀の歪さ

突然だがこんなことを思ったことはないだろうか?

「日本人は無駄に礼儀に拘りすぎ」


礼儀自体はもちろん必要だろう。

人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。(コトバンクより引用)❲※1❳

という意味であるように、なければ混乱をもたらす存在であるのは事実だ。




ただ、礼儀には前提となる思想が存在する


この礼儀についての思想の歴史を辿ると儒学(儒教)に辿り着く。

元の儒学について辿っていくと礼と仁というものが存在する。

この内、礼については礼儀の意味からそこまで変化していないので割愛させてもらうが問題は仁の部分である。

「仁」とは“人を愛すること”(進研ゼミ高校講座より引用)❲※2❳


眠たくなるような話なので簡単に説明しているところから引用させてもらったが、これを見ておわかりいただけただろうか?

今の日本社会は礼だけを尊び、仁という側面を忘れている


と、言えるだろう。


これが日本の礼儀の最大の罠であると私は思う。

要するに礼儀(礼)だけを強要し、中身の仁が伴わない文化が日本には根付いている。


具体的な例を挙げるなら今の日本の接客業だろう。

「いらっしゃいませ」

「ありがとうございます」

など丁寧語で話す礼儀が存在するが大体の店員は仁(愛)を持って接していないだろう。

何なら私も接客業のバイトをしているが客に対して愛などは欠片もない。

しかも店員が少しでも礼を欠いた行動をすれば悪態をつき、怒鳴る中年まで蔓延っている。

そして怒鳴られれば当然客に対する敬意が薄れ、さらに仁を欠いた礼を店員が行うことになる。

今の礼儀という行動に支配された日本社会は正しいと言えるだろうか?


また、儒学思想と今の社会の噛み合わない面についても言及したい。

儒学思想と今の社会の相関について詳しく言及するとそれだけでnote1本が完成してしまうので要点だけ書くと

・今の日本は法治国家である

・法治国家において最も信頼を得られるものは契約である

この2点において礼儀のみを社会生活の維持において重視しすぎた結果が今の日本社会であり、礼儀の歪さの根幹であると私は思う。


この記事に関して言えば儒学思想についてやや否定的と捉えられるかもしれないが、良い面も存在するし、契約によってのみ動く社会の欠点も存在する。

もしこの記事が好評なら、儒学思想と今の社会の相関についての記事を書き、そこで儒学思想、契約社会のそれぞれの功罪について詳しく語りたいと思う。




最後まで読んでくれた皆様!

ここまでの長い時間お付き合いいただき、本当にありがとうございました!

もしよろしければ右下にある♡マークを押して行ってくれると嬉しいなぁ(チラッチラ)


❲※1❳https://kotobank.jp/word/%E7%A4%BC%E5%84%80-660903

❲※2❳https://kou.benesse.co.jp/nigate/social/a13n0503.html

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