『天才論 立川談志の凄み(著:立川談慶)』〜談志という名のカリスマ。影響力と人間性、そして個人的な違和感
【内容】
立川談志の弟子、立川談慶の落語家になるまでと、間近で談志を見続けた弟子から見た談志論。
【感想】
立川談志について書かれた本は、これまでに何度も読んできました。立川談志という落語家は、後世に大きな影響を与えた人物であることは間違いありません。その点では、彼は非常に偉大な存在なのでしょう。
しかし、彼が生前にテレビで語っていた政治や社会情勢についての話は、どこかで聞いたことがあるような内容ばかりで、新鮮さを感じることはあまりありませんでした。また、彼の議員活動がどの程度真剣だったのかも疑問に思うところがあります。私の中での印象としては、関東のお笑い芸人が知識人ぶって笑えないジョークを飛ばし、常に不機嫌で周囲を威圧している、というものでした。
この著者も書いていますが、談志には気分屋でサディスティックな一面があり、昭和の時代を色濃く映し出す癖の強い芸人だったようです。それでも私は定期的に彼の落語を聴くことがあり、その技術の高さは確かに認めますが、どうも肌に合わないと感じています。それにもかかわらず同時に、立川談志について書かれた本はどれも興味深く、楽しんで読めるものが多いと感じています。
談志自身、「落語家は人間性が問われる」と語っていたようですが、私にとっては彼の人間性がどうも受け入れがたいのかもしれません。寄席にも何度か足を運びましたが、特に感じたのは、下手な落語がいかに聴きづらいものかということです。落語という芸は、たった一人が座って語るものですから、技術の拙さが如実に表れてしまいます。特に、正月の寄席では、顔見世興行として多くの落語家が短時間で次々と出演しますが、その中で印象に残っているのは、ある落語家が「こんなもので牛丼一杯分の報酬しかもらえないのにやってられない」と、愚痴を延々と語っていたことです。笑いが一切なく、そもそも人前に出る態度ではないと感じました。
「落語には人間性が大切だ」という話はよく耳にしますが、人気も人間性も技術もない人が真打になってしまう現状には、危うさを感じざるを得ません。だからこそ、著者が10年近く前座として過ごしたことには、きちんとした落語家を育てるための徹底した訓練があったのだろうとも感じました。
著者はそうした中で掴んだものは、時間が掛かっただけに、より血肉となり、普遍性のあるものになったのだと感じされました。
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-85075-7