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わたしのリカバリーストーリー

https://youtu.be/G_N49tNb9P8?feature=shared

私が統合失調症を発症したのは27歳の時。いまから21年前のこと。そのとき、東京から地方に引越し結婚、出産をへて育児をしながら私は地方タウン誌の編集をしていたのですが、義母に殺される、育てている息子を取り上げられてそうという被害妄想がでて、周囲におかしいということを気づかれて、精神科を受診し病気が発覚しました。


そこでもらったリーフレットに10人に1人自殺する病気と書かれていて、その後しばらくその言葉に縛られていたのを覚えています。

病気が発覚したあと、わたしはそれを飲み込めず、住んでいたのが四国だったのですが、四国から車で以前すんでいた東京に逃げたり現実逃避してパチンコをして借金を15万円くらいかな、しました。その結果、離婚がきまり、地元福島に戻ることとなります。

地元に戻り数年後、統合失調症の症状をかかえながらコンビニなどアルバイトをしながらすごしていました。そこで震災がおきました。私は化学系の大学に行っていた経験から中途半端に知識があり、原発が凄く怖かったし、数年後に死んでしまうのでは?とおもい、かなりストレスがかかりました。

このあたりで、私はキャンドル作りと出会います。震災後、コンビニとキャンドル屋さんを掛け持ちしながら2年ほど働くことになります。

そして、キャンドル屋さんを辞めたあたりから断薬をしてしまっていたこともあり、思考が混乱して8年前の冬に全裸で街を歩くことになります。その結果、パトカーで保護され精神病院に2年ほど入院することになります。

ただ、今から振り返ると、この入院が非常に幸いして、自分が病気ときちんと向き合うことをはじめるきっかけとなり、自分が病気という認識や自分の病気をコントロールしていくには向精神薬の服薬を必要なんだ。ということを自分の中で納得できる期間、転機になり、結果とても良かったなと今は思えています。

その間には、全裸の画像を拡散されたり、自殺しようとしたり、隔離室に20日間閉じ込められたり、ギリギリに生きていた苦しい期間もありました。

病院を退院する頃には、10人に1人自殺するなら、私は9人になればよい。という考えになり、服薬をきちんと納得してはじめたことで、自殺したいという思考も気づいたら消えていました。そこで、あ、死にたいと言うのは、脳の機能のバグだったんだなときづき、その辺からは全然死にたいと思わなくなりました。

入院は先の見えない苦しさがありましたが、そんななかでも心の支えとなったのは離れて暮らす息子の成長と、再びキャンドル作りがしたい、そして自分の回復を待ってくれる友達がいると言うことでした。

退院後、2年ほどかけて、デーケア、就労Bを経て病院の給食に一般就労しました。そこでも、将来がイメージできないことに不安はありましたが、コツコツやっていたら、きっとチャンスは来ると信じキャンドル作りと仕事を頑張っていました。

それから3年後、現在の職場の飲食店に転職します。その際もコロナ禍なときだったから不安定な飲食業に転職する不安、飛び込む不安はかなりありましたが、今では、あのとき勇気を持って飛び込んで良かったなと思っています。オーナーが理解ある人だったから、病気をオープンにして働き、人間関係のストレスからだいぶ解放され結果的に自分らしく楽しく生きられるようになりました。

その仕事をしながら、毎年はじまりの美術館で行われている福島県の芸術作品展きになる⇆表現展に出品していき、2022年にわたしのだしたリカバリーストーリーを中心とした作品が審査員特別賞を受賞します。そのことで、病気を心から肯定できるようになりました。

その後、2024年1月福島県の精神障がい者ピアサポーターになります。そして2月に福島県の美術館博物館ネットワークというところでリカバリーストーリーの発表したことでできた縁で5月には現代アートの祭典横浜トリエンナーレのプログラムのzoom鑑賞会のファシリテーターをやりました。

その後、6月はじまりの美術館で会津型のピアサポがいるワークショップ、7月には郡山市立美術館でピアサポがいるキャンドルと会津型のワークショップ、8月には福祉施設で音楽ワークショップはじまりの美術館でトークライブイベント。10月に美術館でピアサポーターを集めてピアサポが美術館でできることを考えるもくもくお茶会というイベント。12月ピアサポーターの交流イベントやって、喜多方市福祉のクリスマス会で障がい者ディスコを開催しました。

2024年は入院してた頃から温めていた企画などを一気にに形にできた年となりました。

私には沢山の知人友人がいます。それは、キャンドルづくりをしてきたことで自然とできた繋がりでした。病気をしてても、久しぶりに会ったら元気?調子どう?って気にかけてくれる子ばかりです。

特にアートや音楽を共通言語にもつ、クラブや音楽BAR、ライブハウスやフェスでできた友達は仲良くしてくれます。

芸は身を助くといいますが、私はキャンドル作りがあったから、命も繋げられたし、友達もできたし。イベントもできるようになったと思っています。だから、これからやりたいことは、同じような精神疾患のある人たちにキャンドル作りを教えようと思っています。また音楽のイベントも継続してやっていきたいなと。それが後々、みんなの身を助けられるものにつなかったら良いよなと考えています。

今年は躍進の年でしたが、来年も突き進んでいける良い年になるといいなと思っています。

久しぶりにリカバリーストーリーまとめられそうだったので書いてみました。

あとは最後に、私は闘病の途中で、裸になるということをしてしまったのだけど、それは、同じ統合失調症の草間彌生さんのハプニングを知っていたと言うこともあって。世の中の大多数では間違えたことかもですが、家族を傷つけたり、誰かに暴力を振う行為にはいかなかった。それは、アートを知っていたからある意味ストッパー、違うベクトルで出す結果になったのでは?と思っていて。確かに法は犯す形ではあったが誰も血はながしてないし、自分が辛かっただけだし、今は完全に乗り越えれてるし。

なんで、今後は障がいある人が芸術に触れる機会を少しでも増やすような活動をしていこうと思っています。

そして、障がいある人たちの居場所、遊び場づくりをしていけたらと考えています。以上です。

最後まで読んで下さいりありがとうございました。


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