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私の「落語」にとって大切なお客様。

もう、かなり経ってしまったけど、昨年末、よく落語会に来てくださっていたお客様が急逝された。

ご自宅の寝床で息を引き取られていたそう。
よく落語を一緒に見に行かれていたお客様が連絡が取れず、自宅に行って分かったらしい。

その方は、かなり古くからのお客様で、私が認識してるのは、12年ほど前、福島八聖亭で自分の勉強会を始めた時から。

Xがツィッターだった頃、エゴサーチで、その方の存在を知った。呟きを遡っていくと、落語鑑賞が趣味で、米朝一門をメインに色々な落語会に足を運んでいるようだった。

これは、全く自慢ではないが、私でも入門当時は、一応まだ30代だったからか、「女性」として応援してくださる男性のお客様が何人かいた。
もちろん、私の落語を純粋に楽しんでくださってる人もいたが、正直「なに目的?」という人もいた。(いや、別にいいんやで。どういう気持ちで落語会に来ても)
ただ、大体、そういうお客様は、十年前後立たずいなくなる。(でも、会場に足を運んでくれる・または配信で見てくださるお客様は、ほんまに有難いと思ってるし、大感謝しているんやで!)

差し入れ・ご祝儀を持ってきてくれる方、チケットを何枚も購入してくださる方、写真を撮ってくださる方、いろんな方がいる。

そして、ただただ、通ってきてくださる方。

こちらから無理なお願いすることもなく、ご予約を頂いたらお受けし、当日「ありがとうございました」「楽しかったで」ぐらいの会話だけで帰られる方。
差し入れは気持ちだと思うので嬉しいけど、なくてもいい。
同じネタだからと文句言うわけでなく、このネタやってくれと言うわけでもなく、もっと売れぇやと言うこともなく、飲みに行ったり愛想するわけでもなく。

ただただ、お客様と演者と言う役割で同じ会場に存在している。

それは、とても貴重だなと思った。

私は、やっぱり、今でも『落語』というものが推しなので、客席から見れない悲しさはあるけど、袖で他の落語家の落語を聞くのはとても楽しい。

そして、いろんなネタを喋ってる瞬間も楽しい。

落語だけでなく、舞台芸術、ライブ、いろんな楽しみ方があるので、一概にはいえないけど、お客様と演者が向き合って存在する公演とはまた違い、そのお客様と私は(気持ち的に)高座の方を向いていたと思う。

私が演者として映し出す景色をお客様も見る。
なんと言うか、私が、プロジェクターのような役割なのだ。

だから、私が女だとかメディアで売れてるとか集客力があるとか関係なく、私という落語家が映し出す落語の世界を好きでいてくれたと思っている。

自分が売れる方法、みたいなんが、ビジネス書に書かれている事がある。
自分がどうなりたいかを推しに伝え、それを実現させる事で、お客様も一緒に夢を見ることができる。だから、より応援したくなるし、お客さんも増えるというビジネスモデルがあるが、私の想いは少し違う。

私は、あくまで、お客さんとともに『落語』に対峙している。だから、私が歳を取っていこうが、同じネタを何回もかけようが、女流と呼ばれようが関係ない。
私の落語はその都度で変わるし、その景色をお客さんと一緒に楽しむ。
幸せな事に、即完満席大人気!な芸人ではないが、同じような楽しみ方をしてくださるお客さまが私の落語会に来てくださる。

ああ、ありがたいな。

『やっぱり、人気もんはすごいなー』という、別のお客さんの声に凹む事もあるけどね笑

もっと色々書こうかと思ったけど、ひとまず、感謝をば。

Tさま、ホンマ、ありがとうございました。

初昼席トリに来て下さったのが最後でした。


ご連絡を取ってお家に行って下さったお客様から伺ったのですが、いつもはほとんど演者さんの写真を撮らないのに、この日はfacebookにあげていた、とのこと。「よっぽど楽しかったんだと思いますよ」と。

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