〔連載〕思春期の子どもを持つ母親への心理学講座 その10:子どもを追いつめる親の対応
🔹門限を守らなかった中二の女の子
中二になる女の子の事例である。親御さんの話では、小学校を終えるころまでは学業成績、スポーツとも優秀で、まったく心配はなかったという。
それだけに親にとって自慢の娘だったと言えよう。
中二になったばかりのある日、家庭の決まりでは午後六時を門限としていたが、定刻をすぎても娘は帰ってこない。
心配になって母親は娘のケータイに電話を入れるも不通。
しかし、三十分ほど遅れて「ただいま!」と声がしたので、母親は急いで玄関に迎えに出ると、友達のお母さんが急に倒れて入院したので、少しばかり友達に付き合ってきたのだという。
そんなやりとりをしているところへ父親も帰って来て「遅いな。門限を破るなと言ってあっただろう」と言うやいなや、いきなり娘の頬に平手打ちを食わした。
母親は「何もそこまでしなくても」と娘を庇いながら間に入ったが、なおも父親の剣幕は収まらず、娘は玄関に上がらずに、そのまま家を飛び出していった。
両親は四方八方に電話をかけて手を尽くしたが、結局、行方は知れず、その晩、母親は、まんじりともしないで一夜を明かした。
翌朝、担任教師あてに電話をかけたところ,娘からは何の連絡もなく無断欠席しているとのこと。ますます不安になってきた。
しかし、娘は何食わぬ顔でいつもの帰宅時刻に帰宅。「友達の家に泊めてもらった」という。
その晩、帰宅した父親がまたも娘に対応することになった。
父親は母親から簡単な説明を聞くやいなや、娘の部屋にずかずかと入っていき「親の言うことも聞かないで、子どもの分際で勝手に家出していいのか?」と詰問したが、娘は黙ったまま。
父親はまたもカッとなり、ゲンコツで娘の頭部を数発殴ってしまった。
娘はその場にうずくまって、しばらく動かなくなったが、その晩遅く、再び家を出奔した。
親は驚いて、すぐに近くの交番に出向いて家出捜索人願いを出したが、後から判明したことでは、娘は、その後、二週間にわたって登校もせず、もっぱら友達の家を転々としていたという。
そうこうするうちに、不良仲間の溜まり場に引き込まれ、勧められるままに大麻を吸引。
その購入資金を得るために、さらに援助交際に走り、とうとう警察に捕まるに至った。
これは、ごくふつうの中学生がちょっとしたきっかけで非行に走ってしまった実例である。
家出から大麻に、そして援助交際へと転落の経過はあまりにも早かった。
🔹娘の言い分を聞かなかった父親の対応
最初の原因をつくったのは、娘であることはまちがいない。
なぜなら、門限を守らなかったからである。
しかし、父親は帰宅が遅くなった娘の理由や言い分を聞こうとせず、一方的に頭ごなしに叱責し、さらには頬にビンタを加えている。
その点、行き過ぎはなかったであろうか。
娘が母親に語った「友達のお母さんが急に倒れて入院してしまったので、少しばかり友達に付き合ってきたの」という言葉を聞くかぎり、友達思いの娘の気持ちは少しは了解できるはずであった。
が、父親は、そこまで思いを寄せるだけの想像力に欠けていた。
したがって、それを機に娘が最初のプチ家出をしたきっかけをつくったのは、父親本人という見方もできる。
しかも娘の二度目の本格的な家出についても、父親がその原因をつくったことは明らかである。
第一回目のとき、恐る恐る帰宅した娘の気持ちを思いやれば、まずは一言「よく帰ってきたな」といった言葉かけが必要だったのでないだろうか。
父親としてみれば、たぶん娘が門限を破ったから厳しく対応しただけと自分の正当性を主張したかったのだろうが、娘にしてみれば、父親の対応は融通のきかない権威の押しつけとしか映らなかったので、ムカついてしまったにちがいない。
おそらく父親は「門限違反イコール非行化」といった短絡的で狭い道徳的な枠組みにとらわれていたため、娘のほんとうの姿が見えていなかったのだろう。
🔹「円環的因果律」の考え方をしてみよう
ここで、上記の事例の時間的な流れを図式化してみたい。
娘が門限を守らなかったこと→父親の叱責・軽い体罰→娘のプチ家出→父親の再度の叱責・体罰→娘の本格的な家出→非行化
事の発端は、娘の側の事情で(さほど責められない理由だが)門限を破ってしまったことにあるが、それを機に事態は、らせん状に悪化の一途をたどってしまったことが分かるであろう。
私達親も、よかれと思いつつ案外、このような悪循環に巻き込まれて、知らず知らずのうちに子どもを追い込んでしまうことはないだろうか。
原因が結果を生み出していることは確かだが、紹介した事例のように、いつの間にか結果が原因に転化してしまっていることがままある。
前者を「直線的因果律」と呼び、後者を「円環的因果律」と呼ぶ。
私達は、これまであまりにも原因→結果という「直線的因果律」の考え方に慣れてしまって、先の事例の父親のように自分が娘にとっての原因となっていることになかなか気づかなくなってはいないだろうか。