感動したい人のための『ルックバック』
時間がない人用
この映画をすごく残酷な映画として紹介したいと思います。
才能のある藤野、京本。ですが、二人は全く違う存在でした。
その違いを残酷なまでに表現した映画でと言えます。
物語中盤で、やっとの思いで週刊誌の連載を勝ち取ります。そこで、京本はアシスタントを降りることを藤野に伝えます。
京本は自分の力で生きてみたい。自分の絵の才能を伸ばしたい。そう言って、二人は別々の道を歩むこととなりました。
確かに、二人とも才能を持っていました。藤野は漫画の才能。京本は絵の才能を?
本当にそれだけの差?少し引っかかりますね
各々、適切な道を歩みでしたかのように見えます。
しかし、二人は全く違う存在です。
藤野は学級新聞で漫画を描いてた。そして、毎回楽しみにしてくれる読者がいました。京本もその読者の一人。
藤野は画力の差にショックを受けていましたが。
でも、京本の絵はそれだけなんです。
正直、誰も京本の絵を楽しみにしていないんです。
それを京本は気づかないまま、絵の才能を伸ばし続けます。
藤野も絵の勉強はします。しかし、あくまで漫画のクオリティーを上げるための手段に過ぎません。
この二人の差は、将来的に全く違う結末になります。
物語の終盤。京本のお通夜?のシーン。ありましたね。
かなり、素朴というか 献花もなく。おそらく、ほとんど人も来なかったのでしょう。
美大に行っても、京本は一人で絵を描いていた。友達も作れなかったんだと、藤野は察していたのでしょう。
ネットを見てると、二人の関係は映画『アマデウス』のモーツァルトとサリエリの関係だと言う感想を見ますが‥
僕は、もう少し意地悪に観てしまいました。
ある程度の才能のあるサルエリと突出した才能のモーツアルトの関係です。
一方、藤野と京本。
藤野の漫画は昔から面白い。そして、ファンがいて、褒められるのが好きで漫画を描くことが好き。それが、藤野。
京本は絵を上手く描きたいと思ってる。
この二人は、モーツァルトとサリエリ?
モーツァルトとサリエリは、二人ともプロの才能があり、その才能の差で苦悩するお話ですが‥‥
藤野は漫画で人に必要とされる才能があります。
でも、京本は
絵が上手いと言うだけなんです。
そんな二人が出会って、漫画を作っていた。
そう解釈するだけで、
『ルックバック』切なくて泣けると思います。