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感動したい人のための『ルックバック』

時間がない人用

才能ある藤野と京本。しかし二人は全く違う存在です。
この違いを残酷なまでに描いた映画、それが『ルックバック』です。
物語の中盤、二人は週刊誌で連載を持つチャンスを手にします。しかしその時、京本はアシスタントを降りると藤野に告げます。
「美大なんて行っても意味ないよ?」「知らない人といっぱい話すことになるんだよ?」「私についてくれば、全部うまくいくんだよ?」
京本は、自分の力で生きてみたい、自分の絵の才能を伸ばしたい、と決意します。そして、二人は別々の道を歩むことに。
確かに二人とも才能があります。藤野は漫画の才能、京本は絵の才能。
でも、それだけの違いでしょうか?ここに少し引っかかりを感じます。
物語の終盤、京本のお通夜のシーンがあります。献花もなく、来る人も少ない、素朴な場面でした。藤野は、このシーンで京本が美大でも孤独だったことを察します。
「美大なんて行っても意味ないよ?」「知らない人といっぱい話すことになるんだよ?」「私についてくれば、全部うまくいくんだよ?」
藤野のこの言葉が、現実になる。これは、かなり残酷な展開だと思いました。


この映画をすごく残酷な映画として紹介したいと思います。

才能のある藤野、京本。ですが、二人は全く違う存在でした。

その違いを残酷なまでに表現した映画でと言えます。

物語中盤で、やっとの思いで週刊誌の連載を勝ち取ります。そこで、京本はアシスタントを降りることを藤野に伝えます。

そこでの藤野のセリフ
「美大なんて行っても意味ないよ?」
「知らない人といっぱいさ!話すことになるんだよ?」
「私についてくればさっ 全部上手くいくんだよ?」

「ルックバック」劇場アニメ入場者特典

京本は自分の力で生きてみたい。自分の絵の才能を伸ばしたい。そう言って、二人は別々の道を歩むこととなりました。

確かに、二人とも才能を持っていました。
藤野は漫画の才能。京本は絵の才能を?

本当にそれだけの差?少し引っかかりますね


各々、適切な道を歩みでしたかのように見えます。
しかし、二人は全く違う存在です

藤野は学級新聞で漫画を描いてた。そして、毎回楽しみにしてくれる読者がいました。京本もその読者の一人
藤野は画力の差にショックを受けていましたが。

でも、京本の絵はそれだけなんです。
正直、誰も京本の絵を楽しみにしていないんです

それを京本は気づかないまま、絵の才能を伸ばし続けます。

藤野も絵の勉強はします。しかし、あくまで漫画のクオリティーを上げるための手段に過ぎません。

この二人の差は、将来的に全く違う結末になります。

物語の終盤。京本のお通夜?のシーン。ありましたね。
かなり、素朴というか 献花もなく。おそらく、ほとんど人も来なかったのでしょう。

美大に行っても、京本は一人で絵を描いていた。友達も作れなかったんだと、藤野は察していたのでしょう。


「美大なんて行っても意味ないよ?」
「知らない人といっぱいさ!話すことになるんだよ?」
「私についてくればさっ 全部上手くいくんだよ?」


ある意味、セリフのとおりになるという、かなり残酷な展開だなと思いました。


ネットを見てると、二人の関係は映画『アマデウス』のモーツァルトとサリエリの関係だと言う感想を見ますが‥
僕は、もう少し意地悪に観てしまいました。

ある程度の才能のあるサルエリと突出した才能のモーツアルトの関係です。
一方、藤野と京本。

藤野の漫画は昔から面白い。そして、ファンがいて、褒められるのが好きで漫画を描くことが好き。それが、藤野。

京本は絵を上手く描きたいと思ってる。

この二人は、モーツァルトとサリエリ?

モーツァルトとサリエリは、二人ともプロの才能があり、その才能の差で苦悩するお話ですが‥‥

藤野は漫画で人に必要とされる才能があります。

でも、京本は

絵が上手いと言うだけなんです。


そんな二人が出会って、漫画を作っていた。

そう解釈するだけで、

『ルックバック』切なくて泣けると思います。




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