ロリータ、わたしのきもち。

昨日の夜こんなツイートをしました。


思ったよりも多くの反応をいただき、賛否両論、色んな声がありました。

Twitterは140文字しか書けないので、言葉足らずなところもあり、補足としてここに自分の言いたかったことをまとめようと思います。

まず、前提として、わたしの中でのロリータとはロリータの精神を持っている人のことを指します。そもそもロリータの精神とは?となると思うのですが、やっぱりロリータのお洋服を愛して、大切にしている人のことだと思います。ただこのロリータの精神とは説明しづらく、でもわかる人にはわかると思います。
そのロリータの精神を持っている上で着たいけど着られてない人が、そういう方も、ロリータだとわたしは言いたかったのです。

例えば、家族に反対されてる、お金がなくて買えない、色んな理由でロリータを始めたくても始められない方がいると思います。
そんな厳しい状況の中、着れないけれど、好きなロリータブランドのサイトを毎日見てしまう、リボンだったらつけてても家族に文句を言われないだろうから一つだけ買おう。そのようなことをしている人のことをわたしはロリータではないと思えません。ブランド、またはメゾンを愛し、自分がいつかロリータを着た姿を思い描き、着れないけれど毎日ロリータ服に恋をしている。そんな女の子がロリータではなかったとしたら何だというのですか?わたしは立派なロリータさんだと思います。

お金があまりなく、どうやっても好きなロリータブランドのお洋服は買えない。でもロリータさんに少しでも近づきたいからと、手芸屋さんでリボンとレースを買って裁縫は苦手だけれど見様見真似でヘッドドレスを自作する。制服の下にはドロワーズを履く、同級生には笑われるけど通学中はおばあちゃんにもらったフリフリの日傘を差す。このような子もやはり、わたしにはロリータに見えます。

わたしはこう伝えたかったのです。ただ文字数が圧倒的に足りないので言葉足らずになってしまいました。

それから、ロリータは着ていなければロリータじゃないとの声もいただきましたが、わたしはどうやっても、先ほど話したような状況の人達(仮)のことをロリータではないとは思えません。ロリータは着るだけのものではないと思うのです。着てないけど心はロリータということもあると思います。でもロリータとは一般的に着ている人のことを指すので、違うとその人が思うのならそれも一理あると思います。ただわたしはそういう考えです。

わたしの気持ち、伝わっていたらうれしいです。

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