
『超主人公』を考えてみた
超超超 超主人公♪ 超超超 超主人公♪
結論から言ってしまえば「正義の暴走」の話っぽいですね。たぶん。
悪をやっつけようとするあまり、周りが見えなくなってしまう人。それを「超主人公」と定義しましょうか。
LVあげすぎて スライムの気持ちが
わかんなくなっていく
上目指しすぎて 弱者目線の歌が
刺さんなくなっていく
ここでの「LV」は、自信とかプライドなんでしょうかね。自分が常に正しいと思っていると、周りの人間がスライムのような弱者に見えてくる。
IQ・フィジカル・人脈・ルックス
最強 最高 World is mine
友情・努力・勝利に乾杯
すべてを手にして 愛されたい
自尊心が高じて、自分が「最強」「最高」だと思ってしまう「超主人公」。その行動原理は「愛されたい」つまり承認欲求です。
まあ、自尊心も承認欲求もそれ自体悪いものではないと思いますが、行き過ぎてしまうと良くないですね。
いいよ いいよ サイコにキラキラしちゃって
いいよ いいよ 聞いてもない成功譚 語って
いいよ いいよ 自分の罪は「ヤンチャ」と呼んで
「サイコ」はサイコパス。ここでは共感性に乏しい人、くらいの意味で捉えると、弱者の気持ちを理解できないことに通じます。
「成功譚」は自分の正義を通すことができた体験。それを自慢げに語りますが、自分の罪を指摘されると「ヤンチャ」で済ませます。極めて自己中心的なわけです。
そういえばYouTubeに面白いコメントがありました。スクリーンショットの掲載で引用に代えさせていただきます。

完全なアナグラムではないので偶然の可能性もありますが、「超主人公」の響きから「自己中心」が連想されるのはなかなか興味深いですね。こういうのに気付ける人に私もなりたいです。
超超超 超主人公 超超超 超主人公
君になりたい 子羊いっぱい
超超超 超主人公 超超超 超主人公
邪魔するモブは こっそり消したい
「子羊」は後に出てくる「信者」と一緒ですね。盲目的に崇める人たちがいるので「超主人公」はますます増長します。逆に、自分を否定する人には攻撃して排除します。「モブ」と言い切っているあたりが、周りを有象無象としか思っていない感じがありますね。
あれ? 気づけばあんた 悪役じゃないかい?
そんな「超主人公」は、正義どころか悪寄りなんじゃないの、というわけです。
You're a Hero Hero Hero
光に溢れて 陰に居場所がない
ここはちょっと難しいですね。光は眩しいものですから、正義を振りかざしていると周りの人が眩しがって(=烈しさに嫌気がして)いなくなってしまい、居場所が無くなる……ってことなのかな。
Fight for Justice Justice Justice
明るい未来のため 犠牲は仕方ない
こっちは分かりやすい。正義を実行するためであれば、他の人が傷付くことは厭わない。
そういえばRPGでは、勇者が人の家に勝手に入って棚を漁ったりツボを割ったりするのが、たまにネタ的に話題になりますね。ゲームの中ならいいですが、現実において同じような行為を、「明るい未来」のためだから仕方ないと正当化できるのか? うーん。
いいよ いいよ 一方的な愛を押し付けて
いいよ いいよ イエスマンばっかで固めて
いいよ いいよ 暴走するエゴ 正当化して
いいよって うるせえぞ
もしかしてお前も敵か?
「愛」という言葉が出てきましたね。あなたのためを思って言っているんだよ、というような言い訳が聞こえてくるようです。それは「愛」なんかではなくて「エゴ」かもしれない。
挙句の果て、自分を否定する人は「敵」と断定。それが例え親切心からの警告だったとしても、たぶんお構いなしでしょう。
超超超 超主人公 超超超 超主人公
君を崇める 信者がいっぱい
超超超 超主人公 超超超 超主人公
すべてを手に入れて何がしたい?
ここは今まで述べてきたことと大体同じ解釈ができるので、そろそろ絵についても触れるんですが、ここで「超主人公」ちゃんはどっかりと脚を組んで椅子に腰掛けています。その様子は勇者というより……魔王のそれですね。
あれ? その おしゃれな服
返り血じゃないかい?
「おしゃれな服」はステータス。「超主人公」は自分の功績を見せびらかすのですが、それは正義の名の下に誰かを攻撃して得たものなのでした。
それにしても「返り血」の一言で色々想像させるあたり、相変わらずピノさんの言葉選びはすごい。
あれ? 気づけば あんた
ラスボスじゃないかい?
ラスサビの歌詞は割愛しますが、ここで「超主人公」ちゃんが魔王然とした姿になったときには鳥肌が立ちましたね……。
自己中心的な正義を振りかざし、信者に賞賛されてその気になって、勝手に悪と認定した者を攻撃し続けた「超主人公」ちゃんは、一体どうなってしまうのでしょう?
次の主人公に 倒されてバイバイ
他の「超主人公」の目に留まってあえなく死亡。ネットなら叩かれて炎上、にあたるのかな。そして新しい「超主人公」も、自分の正義のために人を攻撃したことには変わりない。
こうしてそれぞれの正義を掲げた「超主人公」同士が互いに攻め合い、終わらない争いが連鎖していきます。
MVでは「超主人公」ちゃんが次々出てきては新たな「超主人公」ちゃんにやられて死んでいくのですが、しれっとアイマイナちゃんが巻き添えを食らっています。悪を倒すのに夢中で、誰かを巻き込んでいることに気付けない様子です。
極め付けは最後のこの歌詞。
君もまた 次のラスボスじゃないかい?
この曲では最初からずっと「君」という二人称を使っていました。これはもしかしたら、私たちへの警告なのかもしれないですね。君も知らないうちに自分の正義に酔って周りが見えなくなっていないか? と。その可能性に気付いたとき、ゾッとしました。
これで大体『超主人公』の解釈は終わりですが、ちょっとだけ自分の経験を置いておきます。
知り合いの絵師さんが作品をパクられたことがありました。それに気付いた第三者が絵師さんに連絡せずに問題を公にし、周りと一緒になって、パクった人を追い出しました。
ところがそれを知った絵師さんは、自分の知らないうちに事態が大きくなってしまって、かえって困り苦しんだそうです。そんな絵師さんの心知らず、追い出した人たちは満足したそうな。
正義の暴走の典型的な例ですが、話の肝はここから。事の次第を知った私は怒りを覚え、彼らに直接話をつけてやろうかと考えてしまいました。幸い周りの人たちが冷静でいてくれたので、思い留まれましたが……。
「超主人公」に呆れていたはずが、気付けば自分も「超主人公」になりかけていたのです。
長々と自分語りを失礼しました。
ともかく、多様な価値観が渦巻く今日の世の中。自分が絶対正しいと思うときこそ一度冷静になって、その正義が本当に正義なのか、ちゃんと考えたいものです。
今回の余談
「超主人公」ちゃん、スカート丈がとんでもなく短いのに足を組むものだからハラハラしました。非常にけしからん。個人的には勇者スタイルより魔王スタイルの方が中二感あって好きです。