#13「なりたい」になれなくたって、「なりたくない」だけにはならないでいたい
素敵な服を纏い手を繋ぐご老人夫婦が目の前にいる。半蔵門線の昼。
バラが刻印された金色のブローチは、婦人の胸元で上品な光り方をしている。
今日は祝日だからどこかにお出かけするのかな、なんて思いを馳せながら私がいつか70歳くらいになったらこの貴婦人みたいになりたいな、とか思ったりする。大切な人と長く寄り添って、お互いを大切にしながらいつまでも仲良く過ごすのだ。
そんな感じで思考は派生して、なりたい自分の姿を思い浮かべてみる。
趣味を充実させる自分、仕事で活躍する自分、後輩に慕われる自分、週末はゆっくりモーニングを楽しんでる自分、好きな服を纏う自分 etc...
よく、「どんな自分になりたいですか?」という質問があるけど、なりたい自分って1つじゃなくて沢山あるなーと思う。ワクワクしてきた。
なりたい自分と今の自分を比べて、どれくらいかけ離れてるかを考えてみる。案外すぐになれそうな自分もいれば、歳を重ねなきゃなれない自分もいるし、今の自分とは程遠い自分もいた。
その中で、「〈この〉なりたい自分なら、今週末にでもなれそうだな」、と思う姿があった。「週末はゆっくりモーニングを楽しめる自分」だ。
ということでさっそくなってみた。土曜日の朝、いつもより少しだけ早く起きて、ハウルの動く城で登場するモーニングプレートを作って食べた。
いい朝になった。
音楽を聞きながらゆっくり食べるモーニングは私のなりたい姿そのものだった。これはいいかもと思った。今週末はどんなモーニングにしようかな、と考える時間が平日に生まれた。これまで無かったワクワクが自然発生してることにまたワクワクした。
あれ?なりたい自分って種類によっては、すぐ手が届く場所にいるのに、どうしてこれまで気づかなかったんだろう。
と思った。同時に、
ああ私はいつも、目まぐるしく進む日々の中で、少なくともなりたくない自分から逃げてるんだなということに気がついた。
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「なりたくない自分」に目を向ける機会は少ない。
そりゃ、「なりたくない」より「こうなりたい」の話がしたいじゃん。その方が楽しいし未来を感じるし。未来感じるってなんだろうね、不確定だけど魅力的な要素にワクワクするってことかな。
それに比べて「こうなりたくはない」なんて後ろ向きだし、なんだかネガティブじゃんね。
でも実際、日々の生活で繰り広げられる無意識の行動は、「なりたくない自分」にならないように行動してることが多い。
仕事をするのだってそう。もちろん目標はあるかもしれないけど、仕事が出来ない自分にはなりたくないし、だめ評価はされたくないからノルマを達成する為に日々タスクをこなしてる。
極論、仕事なんていくらだってサボれるのに、サボらないのはなんで?休む時は上司に連絡するのなんで?無断欠勤しないのは、できないのはなんで?
そんなの当たり前じゃないか。といわれるかもしれない。でも、当たり前の背景にはきっとこれまでの経験で積み重ねてきた「こんな自分にはなりたくない」という思いがある。そして思い返せば、自分に自信をなくしたり、自分にイライラしちゃったり、自分に対して「こんなはずじゃなかった」と思う時っていつも、「なりたくない自分」になってたなと。
こんなはずじゃなかったと思ったあの時を思い返せば返すほど、メンタル死んでたなあ~と思う。それほど「なりたくない自分」というのは、安寧な日々を送りたい私にとって脅威であることを実感させる。
なりたくない自分はメンタルをえぐりにえぐる敵だ。だから実は、今後自分の身を守るために「なりたくない自分」こそ言語化しておいたほうがいいんじゃないかと思った。
まあそれがなかなか難しいんだけどね。
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なりたい自分を想像するって素敵だ。
なりたい自分を目指して行動することも素敵だ。
もしかしたら、
「なりたい」になれないかもしれない。
けど、
「なりたくない」だけにはならないでいたい。
今回のnoteは一瞬頭の中が、わやになるタイトルだなあと自分でも思う。けど、わやになりそうだからちゃんと心に留めておく必要がある気がしたんだ。
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